【日本ダービー】独特の雰囲気を持つダービーとはどんな舞台か。騎乗経験のある現調教師に聞いた

公開日:2023年5月25日 14:00 更新日:2023年5月26日 09:10

「特別なレース。ワクワクする」(武豊)

 日本ダービー、それを人は「競馬の祭典」と呼ぶ。3歳限定でその世代の約8000弱の馬達の頂点を決める戦い。2歳戦が始まりから、そのちょうど1年後。しのぎを削り、残った18頭の中から勝者の一席が争われる。

 
 過去、このGⅠで6勝を挙げた名手・武豊を持ってしても「ダービーは特別なレース。競馬の世界に携わる人は皆、夢の目標とするレースですから。雰囲気も違います。乗ると、やっぱりワクワクする」と表現する。

 
 同時に、「毎年、勝つポテンシャルを持つ馬が何頭かいる。そこでまず、状態がよくなければいけない。一頭、一頭に競馬のパターンがある。それをどこでハマらせるか、うまく噛み合わせるか。運もないとダメ」が鍵だそうだ。ただし、これは33度も騎乗し、複数の勝ちパターンを知る武豊だからこその言葉なのかもしれない。

 ただし、その名手でさえ初勝利まで10年を要した。そこで──。

 日本ダービーとはどんな舞台なのか。騎乗経験のある元騎手の各調教師に騎手心理も含めて教えてもらった。

「人の緊張感が馬に伝わる」(河内)

「ダービーはお祭り。他のGⅠとは違って特殊で、ダービーだからこその雰囲気があるわな。平常心が難しい。はやる気持ちを抑えられるかどうか。人間の緊張感が馬に伝わってしまう」

 こう話してくれたのは、ミレニアムダービーの00年アグネスフライトでダービージョッキーに到達した河内洋師。

 “河内の夢か、それともユタカの意地か。どっちだ!”の名実況(フジテレビ・三宅正治アナ)のとおり、武豊エアシャカールとのたたき合いで鼻差制して初勝利を挙げたのはあまりにも有名だ。86年ラグビーボール(④着)、88年サッカーボーイ(⑮着)、翌年ロングシンホニー(⑤着)で1番人気3連敗の辛酸をなめたからこその矜持であり、当時のダービーデーは16万超えの大観衆で観客席は膨らんだ。

 人馬ともその熱気に当てられることがあるという。

「ただ、勝った後は格別。もう一度、乗ってみたいと思うよな。人生を変えてくれた」

 コンビを組んだそのフライトは今年1月にこの世を去ったが、今でも感謝の気持ちが強いとも話す。

「残り1Fからが長く感じる」(角田)

 その翌年の制覇はジャングルポケット。角田晃一師だ。

「人気馬に乗るか、そうでないかで感覚は変わるけど、競馬場の空気が締まっているというのかな。特に当時は、数週前から騎乗停止になったらダメ、ケガもダメ。自分の馬の特性をどう引き出すかをずっと考える。返し馬をした後も。残り1Fからゴールまでが長く、長く感じるのもダービー。勝てば、騎手冥利に尽きる」

 5度目の騎乗が、1番人気。独特なプレッシャーに打ち勝つコンセントレーションが必要と説く。

「乗る怖さは半端じゃない」(四位)

「ダービーの舞台は最高ですよ。ただ、また乗りたいか、と聞かれたら返し馬まででいいかな(笑)」

 こう話すのは、07年ウオッカで64年ぶりの牝馬戴冠の快挙を成し、翌年にディープスカイで連覇した四位洋文師。

「やっぱり、ダービーは緊張感が違う。ひりつくようなものがある。東京の二千四百メートルは小細工が通用しないし、乗る怖さ、プレッシャーは半端じゃないよね。馬に対する信頼、自信が大事なのかな」

 前年ウオッカでの勝利が史上2人目の連覇へと結びつけた。ディープスカイがそうだ。

 最内枠からハナをも切れる好発を決めながらも、中団待機でもなく、15番手まで下げ、直線で大外へ。前走のNHKマイルC勝ちで1番人気の支持を集めながらも冷静かつ、大胆な騎乗で制している。この年より始まったのが水曜発行の特集にもあったように“白帽有利”。1番枠は15年間で5勝のきっかけとなった。

「ダービーでしか得られない経験」(福永)

 前記のケースで言えば、福永祐一技術調教師も似た形か。

「緊張にのまれて、頭が真っ白になってしまった」は初ダービーだった98年の⑭着キングヘイローで、「無力感を感じた」と話したのが13年の②着エピファネイア。

 それらを含めた21年、19回目の挑戦となった18年ワグネリアンで“福永家の悲願”を達成し、号泣した。ただし、その初Vの後、20年コントレイルを無敗3冠馬に導き、翌年もシャフリヤールでV。史上3人目の連覇で4年で一気に3勝を挙げた。

「朝から独特な緊張感がありますね。ワグネリアンのダービーは自分の技術的な進歩で結果を残せた。その後は馬との巡り合わせも大きく勝てました。色んな経験をさせたもらった舞台。ダービーの舞台でしか得られない経験がある」

 こう話し、“もう一度、乗りたいですか?”の問いには「騎手に未練なくやめたので、乗りたいとは思わない」だった。今後は厩舎開業から騎手時代より出走には狭き門となるダービーを目指すこととなる。

「今は怖くて無理(苦笑)」(渡辺)

 ジョッキーのダービー連覇の史上初は、冒頭の武豊。99年アドマイヤベガで前年スペシャルウィークに続く勝利であった。

 この年の牡馬クラシックは皐月賞テイエムオペラオー、ダービーがアドマイヤベガで菊花賞ナリタトップロードと3強の年。当時の②着ナリタの主戦であった渡辺薫彦師はこう振り返る。騎手人生で唯一のダービー騎乗でもあった。

「有馬記念はお祭り的な雰囲気があるけど、ダービー当日は検量室から空気が違う。厳かというか、怖さがあるというか。当時はオペラオーさえ負かせば、勝てると思って早めに勝負に行ったけど、今、考えると自分も和田(和田竜騎手)も若かった。それを後ろで冷静に見ていたのが豊さん。調教師となり、キャリアを重ねた今、もう一度、ダービーに乗るとなると怖くて無理ですね(苦笑)」

 このレース、武豊アドマイヤは向正面のポジションは15番手。その直後にいたのが⑥着ロサード。手綱は高橋亮師だった。

「当時は気楽な立場。ダービーに乗れる幸せを感じたし、楽しめたかな。ただ、ベガが目の前にいて。ナリタ、テイエムが上がって行くのが見えた時、前の豊さんはまだジッと動かなかった。“大丈夫なの?”と思ったのを鮮明に覚えている」

 世代1頭のみの勝者を目指す2分20数秒の戦い。戦前から騎手同士の読み合いに負けたくない熱き思い。同時に、頭の中では冷静さも求められる。これらが、独特の張り詰めた緊張感を生むのだろう。そして、シビアで少しのロスも勝利の女神は許してくれないのが日本ダービーなのだ。

 この日曜、第90回も例年に漏れず、熱の塊のようなレースとなるのであろう。7勝目か、マルチ勝利か、はたまた初勝利か。18名の騎手のうち誰が鞍下を勝利へと導くのか。名手への階段とも言われる、ダービーでの手綱さばきにとくと注目したい。

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