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若い頃、対抗心を持っていた1つ下の馬乗りの天才は…

公開日:2026年3月10日 12:00 更新日:2026年3月10日 12:00

 今週末は中京競馬場でGⅡ金鯱賞が行われます。このレースの思い出はというと……。

 2015年に担当馬ディサイファで挑みましたが②着。悔しかった記憶しかありませんが、この時の騎乗を含め主戦だったのは今、調教師として活躍している四位洋文騎手。

 現役時代の四位騎手と言えば「ダービー2連勝ジョッキー」でしょう。90回を超える長いダービーの歴史の中でも、2年連続で制したのは武豊騎手、福永祐一騎手、そして四位洋文騎手の3人だけです。

 もっとも、ダービーを勝つ事自体が困難で、競馬発祥の地イギリスで首相だったW・チャーチルさんが「ダービーを勝つ事は一国の宰相になるより難しい」という格言を残したそうです。これは世界の競馬を見渡しても、そして日本においても同じじゃないでしょうか。

 しかもその2勝はともに記憶に残るもの。最初の勝利が牝馬のウオッカだったことで、皆さんに強烈なインパクトを与えたかと思います。その翌年はディープスカイ。この時はヒーローインタビューで、違った意味で伝説となってしまいました。どうしても気になる方はググッてみてください(笑)。

 そんな四位騎手。年齢は僕より1つ下になります。まだお互い20代の頃は正直、苦手意識もありました。当時から小島厩舎の馬にたくさん騎乗していたのですが、今にして思うと、彼の〝的確過ぎるアドバイス〟に対抗心を持っていたのかな、と思います。

 僕のようにたたき上げで馬乗りを覚えた人間と比べると、引き出しの多さが違い過ぎて……。若かった僕はアドバイスを素直に受け入れられず〝単なる対抗心しか生まれなかったのかなぁ〟なんて歳を重ねてから気がつきました。

 昭和世代のおじさんなら共感してくれそうですが、この時代の人間は年齢の1つ上、下って異常に意識してしまうんですよね。

 馬乗りとしての技術の高さは競馬学校の生徒時代から飛び抜けていました。当時の担当教官ですら何も言えなかった、という事が伝説として語り継がれています。とにかく鎧が短く、馬上でのバランスの良さは突出していました。

 そして面白いエピソードは、競馬学校生として厩舎に研修に来ていた時のこと。厩舎でバーベキューをするときに厩務員さんが「あんちゃん、診療所に行って氷取ってこい」と頼んだそうです。

 普通なら「はい、わかりました!」となるはずですが……。

「僕は氷を運ぶために騎手になるんじゃないし、実習に来てるわけじゃない!」

 こう言って断固拒否したそうで。このエピソード、嘘かホントかは定かではありませんが、多分実話なんだと僕は思っています(笑)。

 輝かしい成績を残した四位騎手も今は調教師。開業以来、順調に勝ち星を伸ばしています。馬を我が子のように可愛がる調教師としては、東西合わせても1位2位を争う「愛馬家」だと感じています。

 そんな彼と挑んだ事もある金鯱賞。今年はアラタに典ちゃんが騎乗して出走します。2年前はこのコンビ、金鯱賞で⑤着しています。ちなみに、アラタを担当している厩務員は僕の弟。兄貴分の典ちゃんと弟、そして僕。楽しんで競馬ができればと思います。

小島良太

調教助手
美浦トレセンで30年以上、馬をつくってきた職人。サクラローレル、マンハッタンカフェ、イーグルカフェなどのGⅠ馬に携わってきた。競馬一族の出身で、交友関係は調教師、騎手、馬主、牧場関係者と東西問わずに幅広い。また、長年に渡って札幌、函館、小倉と長期間の滞在競馬もこなしている。

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