【日本ダービー】今年は北村友に順番が回ってくる!? 皐月賞1番人気敗退からダービーVの興味深い共通項
公開日:2025年5月27日 14:00 更新日:2025年5月27日 14:00
ダービーは数々の名ドラマを生んできた。1冠目で1番人気を裏切った馬が2冠目で雪辱を果たしたことが過去40年間で8回。そして、実に興味深いことがある。
まずは1990年のアイネスフウジン。皐月賞では2番手から早めに先頭に立ったが、ゴール前でハクタイセイに首差でかわされてしまった。ダービーでは皐月賞とは違ってスッとハナへ。そのまま軽快に飛ばして4角を回り、直線を向いても脚色は衰えない。メジロライアンの猛追を1馬身4分の1差振り切ってゴールイン。ウイニングランから戻る際、20万人近い大観衆からの“ナカノコール”は忘れられない。
続いて93年のウイニングチケット。弥生賞勝ちから臨んだ皐月賞は繰り上がりの④着だった。ダービーでは中団で運び、4角では内を突いて進出していった。直線で早めに先頭に立つと、柴田政の右ステッキに応え、内から迫るビワハヤヒデとのたたき合いを半馬身差で制した。44歳のベテランは19回目の挑戦で初めてダービージョッキーの称号を得た。
次は98年のスペシャルウィーク。3歳春にはきさらぎ賞、弥生賞と重賞を連勝して、皐月賞では1・8倍の1番人気に推された。しかし、結果は③着まで。ダービーでは中団を手応え良く追走すると、直線で追い出されるとグンと伸びた。一気に先頭に躍り出て、あとは突き放す一方。5馬身差の完封劇だ。“レジェンド”武豊の初ダービー制覇だった。
これでお分かりだろうか。皐月賞の1番人気敗退から巻き返した馬はジョッキーの初めてのダービー勝ちが実に多い。
2009年は横山典ロジユニヴァース。無傷の4連勝で臨んだ皐月賞は1・7倍の1番人気でまさかの⑭着。ところが、ダービーでは不良馬場の中、3番手から進めて、直線では内ラチ沿いから力強く伸びた。4馬身差をつけてフィニッシュ。横山典はその後、14年にワンアンドオンリーで定年まで1年半の橋口師に初ダービーVをプレゼントすると、24年にはダノンデサイルで史上最高齢ダービージョッキーに。
18年は福永ワグネリアン。皐月賞は⑦着敗退。それが、ダービーは違った。8枠17番から前の方につけて、そのまま4角を回り、直線はしっかりと脚を使った。鞍上の渾身追いに応え、先頭でゴールを駆け抜けている。福永は19回目の挑戦で初めての栄冠。不思議なもので、それからは20年にコントレイル、21年にシャフリヤールと勝ち名乗りを次々と上げた。
こんな具合に5頭が当てはまる。あとの3頭はともにレジェンドとのコンビ。99年はアドマイヤベガがナリタトップロード、テイエムオペラオーとの“3強対決”を制し、02年はタニノギムレットがNHKマイルC③着を挟んで戴冠、22年はドウデュースがレースレコードでイクイノックスの追い上げを封じ込めて歴代最多の6勝となった。
クロワデュノールの北村友はGⅠ6勝でも、ダービーは未勝利。またまた――となるか。