9冠牝馬アーモンドアイの真実

【好評連載】9冠牝馬アーモンドアイの真実〈10〉(ネットオリジナル)

公開日:2023年2月21日 14:00 更新日:2023年2月21日 20:25

 国内外でGⅠ9勝、獲得賞金19億1526万3900円はともにJRAの記録を更新。牝馬3冠を達成し、年度代表馬は2度も受賞――。

 数々の金字塔を打ち立てて20年に引退した女傑アーモンドアイ。その競走生活に密着取材を続けてきた新居記者が、当時のノートや関係者の証言とともに、輝かしい競走生活の表と裏を紐解いていく。


   ◇   ◇   ◇


 暮れのグランプリでよもやの暴走、そして直線での失速。これまでのアーモンドアイには想像ができない姿に、中山競馬場のスタンドは静まり返ったほどだった。

 有馬記念⑨着――。だが、意気消沈する時間もなく、次はドバイターフで2連覇をすることがターゲットとなった。

 20年2月27日に牧場から戻ってきたのだが、予想外の事態が起きていた。

 右前脚の裂蹄。秋華賞の際、出走を回避するかと悩んだのと同じくらいの状態だった。ただし、熱感や馬が痛みを見せる仕草がなかったのは幸いで、気持ちで走る馬だけに競走自体には問題ないレベルではあった。

 それでも、3月4日の坂路で4F51秒6―13秒4を皮切りに坂中心での調整を強いられる。脚元をケアしながらの調整であり、いささか物足りないのも確かであった。

 また、前年のドバイ遠征では馬体重が国際検疫厩舎で10㌔減、輸送で10㌔減していた。中止した暮れの香港遠征の際も検疫厩舎で10㌔近く減ったこともあり、486㌔で出走した有馬記念から、わずか2カ月でも500㌔を計時していた。

 余裕のある馬体、そして脚元を考慮しての調整で陣営が思い描くようなシェイプアップは臨めなかった。

 それでも、3月12日のウッドでは5F64秒6―37秒4、1F11秒9で併走馬に2馬身と楽に先着して、〝さすが〟の動きを見せる。その午後に国際検疫に入り、予定通り、連覇に向けて18日に出国した。

 ところが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響により、22日に開催中止が発表されてしまう。現地入りしてからの中止となったが、2度目のドバイ遠征は懸念した国際検疫厩舎でも、輸送でも前年とは違い、想定より馬体減りがなかった。

 現地では少し余裕のある馬体だったが、それでも、輸送に慣れたように精神的な成長があったのはこの先へと繋がっていく確かなものだった。

 失意のまま、29日に日本にとんぼ返りして、着地検疫で競馬学校に4月4日まで調整。その間も緩めることなく乗って、調教をして次戦に切り替えていた。

 6冠馬となってからは、熱発により香港遠征を自重して、臨んだ有馬記念。そして、ドバイに輸送をしたら中止。歯車が狂い、度重なる試練を強いられる。嫌な流れを絶ち切るには勝利しかない。

 復権のためにターゲットとなったのはGⅠヴィクトリアMだった。

新居哲

新居哲

 馬とは関係のない家庭環境で育った。ただ、母親がゲンダイの愛読者で馬柱は身近な存在に。ナリタブライアンの3冠から本格的にのめり込み、学生時代は競馬場、牧場巡りをしていたら、いつしか本職となっていました。
 現場デビューは2000年。若駒の時は取材相手に「おまえが来ると負けるから帰れ!」と怒られながら、勝負の世界でもまれてきました。
 途中、半ば強制的に放牧に出され、05年プロ野球の巨人、06年サッカードイツW杯を現地で取材。07年に再入厩してきました。
 国枝、木村厩舎などを担当。気が付けば、もう中堅の域で、レースなら4角手前くらいでしょうか。その分、少しずつ人の輪も広がってきたのを実感します。
「馬を見て、関係者に聞いてレースを振り返る」をモットーに最後の直線で見せ場をつくり、いいモノをお届けできればと思います。

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