【日本ダービー・9紙合同特別企画 道は、ひとつじゃない】キングカメハメハ・日本ダービー

公開日:2024年5月20日 14:00 更新日:2024年6月4日 15:17

【日本ダービー】2分23秒3衝撃のレースレコードで史上初の変則2冠達成 

 2004年5月30日。第71回の日本ダービー当日を迎えた。初夏を通り越し、朝から気温は30度にも達した。灼熱ともいえる一日だった。

 NHKマイルCのGⅠ初タイトルから3週間後だが、キングカメハメハはさらに良くなっていた。

「筋肉質な父キングマンボの血が騒ぎ出してきたね。ムダなものがそげ、使える筋肉が増えた。JRAの獣医師さん、開業獣医さんのアドバイス、丁寧なケアのおかげで筋肉が硬くならず、ダービーまでに鍛錬を積めた」

 松田調教師は話す。

 アスリートが惚れる古代ギリシャの男性彫刻を思わせるような、抜群の筋肉美となっていた。同時に落ち着いた姿でパドックを周回していた。

 東京競馬場は12万2074人もの大観衆を集めた。日本ダービーには独特の空気感が生まれる。スタンド前の発走でもあるから、この独特なムードにのまれる人馬は少なくない。

「あんなに自信を持って乗れる馬は、いまだかつていないね」(安藤勝己)

 安藤騎手は家族を競馬場に呼ぶほど自信を持っていた。レース前の心境をこう描写した。

「ホント、冷静でしたよ。馬は春から上り調子で、性格的に中2週もちょうど良かった。一番のピークでダービーを迎えていた。大観衆の前でも平然としていて、気持ちに余裕があったしね。僕は僕でゴール前でガッツポーズすることまで考えてたんだから(笑)。あんなに自信を持って乗れる馬は、いまだかつていないね」

 地方競馬からJRAへ。百戦錬磨のベテランは、全てのホースマンが憧れる大舞台でも心の余裕があったほど。前走を超す強さが背中から伝わっていたのだ。

 ゲートが開いた。最内枠から“マイネル軍団”の一頭、マイネルマクロスが後続を7、8馬身と離して逃げる展開。5番手の皐月賞馬ダイワメジャーを見る外め9番手にキングカメハメハはいた。先頭がコスモバルクに替わった4角では直後に迫り、坂下の残り400メートルではすでに先頭に立っていた。またも独壇場――。

 後続に付け入る隙すら与えない勝ち方で、電光掲示板の勝ち時計は2分23秒3を表示した。“ナカノコール”のアイネスフウジンを2秒も上回る衝撃のダービーレコードに、スタンドはさらに沸いた。

 6戦のキャリアを経て、圧倒的なスピードを持続できる心肺機能の高さを磨いた末の勝利でもあった。

 強い姿があり、ダービーロードが完結した瞬間だった。

「アンカツさんが馬の精神面にゆとりをつくってくれた。このコンビでないとダービーはなかった。JRAの獣医師さん、開業獣医さん、福田装蹄師さんに厩舎スタッフ。丁寧に仕事してくれたおかげです」

 松田調教師はこう感謝を口にする。

 そして、キングカメハメハは自身の後にも道をつくった。14世代で1700頭弱の産駒を輩出し、ローズキングダム、アパパネ、ルーラーシップ、ロードカナロア、ベルシャザール、ホッコータルマエ、ラブリーデイ、ドゥラメンテにレイデオロなどのGⅠ馬が生まれた。

 血統表にキングカメハメハの名が入る子孫たちは、またいくつもの道から日本ダービーを目指してゆく。

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