「青森で『お助けバリちゃん』と呼ばれるような産駒を出してほしい」
春の東京開催開幕週に組まれている青葉賞は、ダービーの前哨戦で②着馬までに優先出走権が与えられる。その2011年の覇者がウインバリアシオンで、本番では10番人気の低評価を覆し、あのオルフェーヴルに1馬身4分の3まで迫る好走を見せた。その後、菊花賞や有馬記念、天皇賞・春でも②着に善戦。今は種牡馬として後世に血を伝えている。どうしているのか。
ウインバリアシオンは2008年4月10日、父ハーツクライ、母スーパーバレリーナ(父ストームバード)の間に生まれた。今は、生まれ故郷ノーザンファームを擁する北海道ではなく、青森県東北町の荒谷牧場に繋養されている。
荒谷牧場とタッグで種牡馬事業を行い、バリアシオンの青森導入に尽力したスプリングファーム代表の佐々木拓也さんに話を聞いた。
「2016年に初めて種付けして今年で10年目、17歳の今も現役バリバリです。衰えはまったくありません。ふだんはおとなしいのに、繁殖牝馬を見ると、すぐにスイッチが入って、かなりうるさい相手でも動じるどころか、威圧して種付けします。そのうまさ、強さ、速さは経験したことがありませんよ。種付けのときは私が隣で手綱を引いているのですが、そのパワーがすごくて腕がしびれそうなんです。この“うれしい悩み”は、まだまだ続きそうですね」
初年度産駒のドスハーツがJRAのダートで4勝し、今も南関東で現役を続けながら獲得した賞金は7758万円に上る。5世代目の1頭・ハヤテノフクノスケはJRAの芝で勝ち星を重ね、今年の3月1日に3勝クラスの阪神リニューアル記念を勝って待望のオープン入りだ。
その日は、日本軽種馬協会七戸種馬場でJBBA種牡馬展示会が行われていて、佐々木さんはバリアシオンとオールブラッシュの2頭を連れて参加。100人を超えるファンと関係者の前で青森の馬産地復興をPRしていただけに、フクノスケの圧勝劇は展示会に花を添える形となった。
2~3割の繁殖牝馬は北海道から
種馬としての評判はどうなのか。
「初年度からドスハーツが活躍してくれたことで注目され、ハヤテノフクノスケが芝で結果を出してくれたことで繁殖牝馬のオーナーさんからもおかげさまで好評です。ウインバリアシオンの種付け頭数は毎年20~30頭。北海道にいる人気種牡馬は100~200頭ですからケタが違います。それでもコンスタントに活躍する馬を出すんですから、青森の馬産を盛り上げるには魅力的な種馬です。今年、バリアシオンが種付けしたのは2頭。青森は北海道より種付けが遅くて、これからが本番。例年通り20~30頭くらいの繁殖牝馬が集まりそうで、毎年2~3割は北海道から繁殖牝馬を連れてきてくださる方がいるんですよ」
今年生まれたバリアシオン産駒も、「父譲りで脚長の好馬体」。2年後のデビュー戦が待ち遠しいという。そんな中、目が離せないのがやっぱりハヤテノフクノスケだ。
「フクノスケが生まれたのは青森で親しくさせていただいているワールドファームで、すぐに見にいきました。馬体は緩いのに育成期から『才能があるぞ』と好評で、栗東に入厩してからも評価が上がっていきました。厩舎の方によれば、4歳の今でも体はまだ緩いといいます。それでいて前走は直線で坂がある阪神の3000メートルを5馬身差で楽勝。しかも好時計ですから、将来が楽しみです。もし天皇賞・春への出走がかなうようなら、これほどうれしいことはありません」
管理した松永昌師が「この馬も十分バケモン」
そんな孝行息子に父の現役時代をダブらせている。
「バリアシオンもデビューしたころは体が薄く、トモには筋肉がつききっていませんでした。体が緩かったんです。それでも調教で走らせると、心肺機能の高さと素質だけで時計が出てしまう。その結果、デビューから2連勝ですよ。しかも青葉賞のころは裂蹄がひどくて、常に裂蹄との戦いでした。調教を加減しなければいけない状態で、青葉賞を勝ち、ダービーは大外から追い込んで②着。あのオルフェーヴルに1馬身ちょっとで、③着ベルシャザールとは7馬身差。馬体の完成は先だとしても、せめて蹄の状態がよければどうだったか……。管理していた松永昌博調教師は『オルフェーヴルはバケモンやった。でも、バリアシオンも十分バケモンやで』とおっしゃいましたから。バリアシオン産駒はゆっくり成長して、ピークに達してからの息が長いのが特徴です。ハヤテノフクノスケにも、父のよさが受け継がれていると思いますから、これからもっともっと活躍してほしいですね」
さて、バリアシオンが青森にやってきたのは2015年。そこに至るまでは紆余曲折があったという。
「青森の馬産地復活を目指すにあたり、関係者と何度も話し合いを重ねる中で、議題の中心になったのが優秀な種牡馬の導入でした。それで白羽の矢が立ったのが、ウインバリアシオンです。その年の天皇賞・春でケガをしてしまいましたが、血統も実績も文句ナシ。何とか導入できないかと考えて、当時のオーナーさんはじめ関係者に連絡を取りましたが、オーストラリアや韓国からもオファーがあったようです。難しいかなと思っていたところ、海外の話がまとまらず、再度オーナーさんなどとお話を持つチャンスに恵まれ、ウチの牧場に来ることが決定したのです(現在は荒谷牧場で繋養)」
青森は元々、軍馬や農耕馬の生産が盛んで、競走馬も数多く生産している。1947年のマツミドリを皮切りに、62年のフエアーウインまで日本ダービーを7勝。テンポイント、トウショウボーイとともに一時代を築いたグリーングラスも青森産で、昭和50年代までは馬産地として有名だったのだ。
「トウショウボーイはその活躍で生まれ故郷・北海道の馬産地を盛り上げ、『お助けボーイ』と親しまれました。ウインバリアシオンも、青森で『お助けバリちゃん』と呼ばれるような産駒を送り出してほしいですね。毎年20~30頭の種付けでコンスタントに走る馬を出すんですから、優秀な種馬ですし、配合次第でその可能性はあると思っています」
現役時代は2度の屈腱炎を乗り越え、GⅠ②着が4回。タフな精神力と息の長い成長力が産駒に伝われば、「お助けバリちゃん」の名前が全国にとどろくような馬が誕生しても不思議はない。