重賞プレーバック

【2019年カペラS】コパノキッキング

公開日:2024年12月6日 17:00 更新日:2024年12月6日 17:00

馬主Dr.コパさん語る 主戦・藤田菜七子との思い出

 5年前のカペラSは、競馬史にその名を刻んだレースとなっている。藤田菜七子騎手が女性として初めてJRAの重賞を制したのだ。相棒コパノキッキングの馬主である「Drコパ」こと小林祥晃さん(77)は当時、菜七子を全面的にバックアップ。キッキングとのコンビでGⅠ級にも参戦した。今年、引退を発表した菜七子とキッキングとの思い出についてコパさんに聞いた。

 菜七子は2016年にデビューすると、騎乗する競馬場にファンが殺到し、競馬記者だけでなくあらゆるメディアも注目する存在だった。初年度6つだった勝ち星は14、27と着実に増やして技術力もアップ。19年には3回新潟で女性初の開催リーディングを獲得し、女性初の競馬場年間リーディングにも輝き、その年は地方の10勝と合わせて通算100勝を達成している。

 騎手として節目となる大台を記録した年にキッキングとの出会いが生まれた。菜七子を指名したのはなぜか?

「菜七子は当初、人気先行でしたけど、女性ならではの馬へのあたりの柔らかさがあって、少しずつ勝てる騎手になってきていました。人気に実力が追いついて、さらにかわいいからファンも注目する。ボクもイチ競馬ファンとして、どうせなら競馬が盛り上がってほしいから、菜七子に重賞を取らせたかったし、一つ勝てば騎手としてのステージが上がると思ったんです。そんなとき、前の年のカペラSを勝って根岸Sも連勝したのがキッキングで、そろそろ主戦を据えて本格的により上のレベルに挑戦しようと考えていたところでした。キッキングは気性に難があったから、あたりの柔らかい騎手をということで、菜七子に白羽の矢を立てたんです。でも下手だったら、乗せませんでしたよ」

「③着に負けたクラスターCは叱りました」

 菜七子にとってキッキングとの初コンビは何とGⅠフェブラリーS。4番人気で⑤着に健闘した。

「キッキングはダ千二ならかなり強くなっていたけど、マイルは少し長かった。だから、後方で我慢させてからの直線勝負はボクが頼んだ通りの競馬で満点でした」

 その後、大井や盛岡の交流重賞で②③着と悔し涙をのむ。その盛岡のクラスターCでは、レース後に叱ったそうだ。

「ボクが注文したのは4角先頭でしたが、逃げたヒロシゲゴールドを大名マークしながら4角でもかわそうとせず直線で差す競馬をしようとしたんです。そうしたら、ヒロシゲの鞍上・武豊が内から馬体を寄せてきたところに、外からヤマニンアンプリメの鞍上・岩田康がかぶせてきた。そのベテラン2人のプレッシャーに圧倒されて③着に沈んでしまった。確かにデキは8割でしたが、勝たないといけないレースでしたから、レース後の食事会でこう言いました。『ボクが指示した意味が分かるかな?』と。あの経験をキッカケに重賞の厳しさを心底、分かったと思うよ。あれからは、何も分からず『すみませんでした』と謝るようなことがなくなり、自分なりに敗因を分析して、目つきも変わってきましたから」

 コパさんの言葉が胸に響いたのだろう。続く大井の東京盃は周りのプレッシャーにひるむことなく先手を主張すると、危なげなく逃げ切りV。女性初の交流重賞制覇を成し遂げて、GⅠ級のJBCスプリントに駒を進めた。

「交流GⅠとはいえ、勝たせてあげたかったよねぇ。最後に御神本(訓史)クンのブルドッグボスに差されたとはいえ首差だったでしょう。何しろ競馬がよかった。逃げたノブワイルドに鈴をつけにいく馬がいなくて、自分から負かしにいって最後差されたものだからね。残念だけど、あれも競馬だから仕方ない」

 最後の一歩でGⅠタイトルを逃して迎えたのが2連覇がかかるカペラSだった。

「別定戦でメンバー唯一の58キロに加え、かなりのハイペースでもしっかりと押していって4番手で流れに乗ると、4角手前で動いて坂下から豪快に差し切りました。菜七子にとって、あれが一番の会心のレースだったと思うよ。オーナーとしても文句のつけようがない満点騎乗でした」

脚が曲がっていたことより困った気性の悪さ

 さて、キッキングは米国産で、2歳のセリで落札した。

「村山(明)調教師がそのセリに行くというので調べてみたら、公開調教で一番時計をマークしたのがキッキングでした。ボクの予算は10万ドル(当時の為替で約1100万円)。入札をお願いすると、『恐らく無理です』と言われちゃって。そのセリは、40万~60万ドルくらいが相場だったようなんです。でも、いざ入札が始まると、希望額で落札できたんです。実はキッキングの脚は生まれながら曲がっていて、そこが周りの参加者に嫌われたんだと思います。気にしなかった? えぇ、まったく。後天的な変形は馬にとってつらいだろうけど、先天的なものだから、馬も付き合い方を体で覚えているだろうからね」

 検疫などの手続きを終えて日本の育成牧場に入厩させると、スタッフに写真を送ってもらい初めて脚を確認。入札時は、「先天的だから大丈夫」と楽観視していたが、写真で現実を目の当たりにすると、さすがに驚いたが、それよりもこたえたことがあったという。

「気性がひどかったんです。育成期はかなり暴れていたみたいで、ボクが電話でスタッフに見に行くと伝えると、本気で『気をつけてください』と注意されました。環境に慣れるにつれて少しはマシになりましたが、日本に来て2、3カ月後の7月にセン馬にしたんです。周りの人をケガさせるのもよくないですからね」

 去勢手術などもあってデビューが3歳の2月と遅れたが、10番人気の低評価を覆して初陣を飾ると、トントン拍子で出世。3歳暮れのカペラSで重賞ウイナーに仲間入りした。その後、菜七子とのコンビで競馬を盛り上げたのが、充実期の4歳だった。結局、菜七子とは、9戦して2勝②着2回③着2回。確かに落としたレースもあったが、着外3回なら悪くなかったのではないか。

「菜七子にとっても、一番の思い出の馬は間違いなくキッキングだと思います。菜七子の活躍があって、いまの女性騎手に続くことになるけど、いまだに女性はGⅠどころか重賞にも騎乗する機会が少ないからね。よく頑張ったと思いますよ」

 最後にスマホ問題を受けての引退は?

「直接、話はしていませんが、辞めそうな雰囲気は感じていました。この結末は残念ですが、負けないでほしいね」

 菜七子にあこがれて騎手になった今村聖奈や永島まなみも重賞を手にしている。今後、古川奈穂らを含む6人の中でだれがいち早く女性GⅠ騎手になるか。今後の女性騎手の争いも注目だ。

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