日本で数々の記録を樹立し、そして日本の夢を打ち砕いた名手・ペリエが25日で引退

公開日:2024年4月24日 10:20 更新日:2024年4月24日 11:19

 フランスの名手で日本でもおなじみのオリビエ・ペリエ(51)が、「25日の騎乗をもって現役を引退する」と、英競馬メディアのレーシングポスト電子版が伝えた。当日は仏南西部のラ・テスト競馬場で2鞍に騎乗。これがラストライドになる。

 ペリエが日本で騎乗したのは12年ジャパンCが最後だから、もう12年も前。ソレミアで⑬着だった。

 JRA初騎乗は94年3月。当時、若手のみの国際騎手招待シリーズ「ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップ」が中山で行われており、その中のセレブレイションCで初勝利。日本では5戦目だった。

 その年の暮れである12月10日(土)から、同年よりできた外国人ジョッキーの短期免許制度で騎乗を開始。11日には早くも阪神のメイン・ポートアイランドSを制してみせた。

 年明けも日本で騎乗。95年の金杯(京都)をワコーチカコで勝利したのが初の重賞タイトル。この馬は名伯楽・伊藤雄二師だったこともあり、多くの関係者の目に留まることに。ワコーチカコとは続く京都記念でもコンビを組み、重賞連勝を果たしている。

 この活躍により、以降は毎年のように来日。95年から08年まで、14年連続で2ケタ勝利を記録。03年にはナント、14週間の騎乗で55勝という短期免許での記録をつくった。これは18年にモレイラが76勝して大きく更新されたが、JRAでの379勝はいまだに断トツ。他には200勝したジョッキーもおらず、2位はC・デムーロで195勝である。

 重賞は39勝。こちらも95年から08年まで14年連続勝利の記録を達成。GⅠ初制覇は00年フェブラリーSのウイングアローで、最後の勝利となったのは05年マイルCS=ハットトリック。特に有馬記念では02、03年はシンボリクリスエス、04年はゼンノロブロイで勝利して3連覇を達成。当時、秋競馬には欠かせない〝顔〟というべきジョッキーだった。

 また、01年にはマイルCS=ゼンノエルシド、ジャパンC=ジャングルポケット、阪神ジュベナイルF=タムロチェリーで3週連続のGⅠ制覇。しかも、この3頭は4、2、7番人気だった。

 05年秋を最後に55㌔以上でしか乗れなくなり、短期免許の最後は09年。目の病気のため2月に途中帰国している。

 日本での活躍も凄かったが、母国フランスでもピカイチ。96年に初めてリーディングジョッキーとなり、その年から98年まで凱旋門賞も3連覇。また、12年にはいったん抜け出して、日本の誰もが「ついに勝ったか」と思われたオルフェーヴルを、ゴール前で差し切ったソレミアに騎乗していたのもペリエである。凱旋門賞4勝は、6勝のデットーリに次ぐ記録だ。

 日本を愛し、また「日本で逃げることを覚えた」。抑える競馬が主流のフランスではタブーのように言われていた「逃げる」ことにより、エリシオで凱旋門賞初制覇。日本での騎乗経験がペリエをひと回り成長させたといえる。

 引退後は調教師になる予定はなし。日本の当時の活躍ぶりを知るファンから、X(旧ツイッター)上で引退を惜しむ多くの声が上がっている。

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