関係者の中には見かけよりもずっと“ベテラン”という方もチラホラ見かけます。
中山金杯に担当馬マイネルクリソーラを送り出す持ち乗りの粕谷調教助手もそんなひとりです。
雑談の最中に出てきた話題で、最近、組合で催される30年勤続記念の沖縄旅行に行ったとか行かなかったとか。
若々しい容姿から“いったい、いつこの業界にきたんだ?”と疑問を感じていると、「中学を卒業して、牧場経験を積んで、すぐ」とのこと。合点がいきました。
さらに聞き進めると、父は往年の名門・境勝太郎厩舎で87年朝日杯3歳S(現・朝日杯FS)、88年の日本ダービーを制したサクラチヨノオーの厩務員さんだったとも。
子供の時から競走馬に寄り添っていたからこそ、若くして飛び込んだこの世界でも、すぐに溶け込めたのでしょう。
中野隆厩舎時代は攻め専(調教専門助手)として砂の女王として一世を風靡したホクトベガなどの調教をつけ、現在の中野栄厩舎へ移ってからは19年の函館スプリントSで5番人気の伏兵であっと言わせたカイザーメランジェを送り出すなど、その腕達者ぶりを遺憾なく発揮しています。
そんな粕谷さんが「チャンスだと思いますよ」と言うのですから、乗らない手はありません。
「追い切りは先週しっかりやってるので、今週は息を整える程度でしたが、素軽い脚さばき。コンディションに関してはあまり上下しないタイプということもあり、高いレベルで安定していますよ。これまでどんなメンバーとやっても崩れることなく、掲示板を外したのは前々走の1回だけ。それで斤量の55キロはかなりの魅力ですからね」
さらにこんな心中も明かしてくれました。
「先生も今年の2月いっぱいで定年。恩返しにもうひと花、と思ってきっちり仕上げました」とくれば、その思いに馬も応えてくれると信じて◎を打ちます。
「ベガはベガでもホクトベガ!」
93年エリザベス女王杯でホクトベガが①着でゴールに飛び込んだ瞬間の実況です。当時、浪人生でフラフラしていた自分にとっては衝撃的であり、今でも予想の根底に根付いています。
ベガはバリバリの良血馬で鞍上が武豊。牝馬3冠にリーチをかけていました。対して、ホクトベガは父がダート血統でベテランの加藤和を配したいぶし銀のコンビ。春2冠でベガに大きく後塵を拝したホクトベガに勝ち目はなさそうでしたが、見事にリベンジ。この“逆転劇”こそが競馬の醍醐味ではないでしょうか。
かつて作家の寺山修司氏は「競馬が人生の比喩なのではない、人生が競馬の比喩なのである」と評したそう。馬も人も生きている間はいつかの大逆転を狙っています。雑草でもエリートを超えるチャンスはあるはずと、きょうもトレセンを奔走しています。