ミシェルが離日寸前に語っていた心境「また必ず日本に」

公開日:2020年5月3日 11:50 更新日:2020年5月6日 17:24

スワーヴアラミスで勝った時、私の人生が変わりました

 新型コロナウイルスの感染拡大はこのジョッキーの運命も大きく左右した。24歳のフランスから来た女性ジョッキー、ミカエル・ミシェルだ。今年は1月27日から地方競馬の南関東エリアで騎乗。持ち前の美貌だけでなく、多くの勝利を積み重ねることにより、さまざまなメディアにも登場。話題を振りまいた。南関東での騎乗は3月いっぱいで、その後は渡米の予定だったが……。日本に緊急事態宣言が発令された4月7日、フランスに帰国する直前のミシェルを直撃した。

 ◇  ◇  ◇

 ――まず、急きょ(4月)9日にフランスに帰国とうかがいました。その経緯を教えてください。

「こういうふうになる予定ではなかったのですが、大使館の方から電話でフランスへの便が9日が最後になると教えてもらったんです。このあとは、しばらく飛ばないみたいで。私のビザは4月の中ごろで切れます。このフライトを逃すと日本にいられなくなってしまうので、突然ですが帰ることにしました。ビザが切れると不法滞在になってしまう。帰りたいけど帰れないという状況を避けるためです」

 ――日本の競馬に興味を持ったきっかけは。

「昨年の8月、札幌であったワールドオールスタージョッキーズに呼ばれて初めて日本に来たんですが、そこで日本のレースと文化、それから日本の国に恋をしました。あれで私の人生は変わりましたね」

 ――実際にスワーヴアラミスでレースに勝った時の気持ちは。

「あの気持ちはどう言葉に表したらいいか分からないですけど、泣くのと同時にすごくうれしかった。自分が誇らしかったです。たくさんの感情が一気にあふれてきました」

 ――あの時は早めの押し切りで強い競馬でした。その後のスワーヴアラミスにも注目していましたか。

「あの馬のレースは見ています。この前もGⅢを勝ちました(3月31日のマーチS)。関係者にとっても、とてもいい勝利だったと思います。私がスワーヴアラミスに勝つ味を覚えさせました(笑い)。あの札幌の勝利で私の人生も変わったし、馬も。お互いに変われたと思います」

 ――日本とフランスの競馬における大きな違いは何ですか?

「歓声です。あれを聞くと鳥肌が立ちます。札幌の時に感じました。世界中のジョッキーが“日本のファンは凄い”と言っています。それでみんな、日本で乗りたいと思うんです」

 ――でも、3月いっぱいで免許期間が切れました。

「地方競馬のルールがありまして。こういう状況でも特例は認められない、と。この間に日本語のレベルを上げたい。もちろんコロナが終息すればという前提ですが、10月11日の川崎競馬から再び乗る予定です」

 ――ところで、南関東のダート競馬は乗ってみていかがでした?

「すごくキックバックがいっぱい。でも、すぐに慣れました」

 ――道悪は嫌じゃなかった?

「嫌じゃなくて楽しんでました。確かに体中、歯の間にまで泥が入ってきましたけど、天気がいい日もあれば悪い日もあるのがジョッキーの仕事なので。フランスの芝でも雨が降れば泥だらけになりますから。あのキックバックもかなり痛いですよ」

 ――フランスの芝と比べると?

「たまに頭が後ろに倒れそうになるくらい飛んできたり、ゴーグルが壊れることもあります。雨が降っている時はまだ軟らかいですが、乾いている時の方がシャベルで土を掘って、それを投げるような感じで」

 ――南関東4場の違いやそれぞれのイメージは。

「大井は一番、砂ぼこりが多かった。ただ、馬場の状態は一番良かったです。水分の含有量が適度なので。浦和は結構、起伏があってバランスを保つテクニックがいりますね。川崎、船橋は砂の質が似ています。それぞれ、ここから追い上げるぞというポイントが違います」

 ――それはご自身で掴んだポイント?

「乗った感触や、他のジョッキーを見て見つけました。川崎は他よりレースの展開が速い。これも学んだことです」

納豆のネバネバはダメ、絶対ダメ

 ――日本にいる間にLVR(レディスヴィクトリーラウンド=女性騎手7人に加え、各競馬場で選定した騎手が騎乗できるレース)にも参戦。高知、佐賀、名古屋に行って2勝しました。

「高知の競馬場にはびっくりしました。すごく砂が深くて。思い出深いのは名古屋。というのは、私が乗った馬は人気がなかった(5番人気)けど勝てた。あれは驚きました」

 ――直線は凄い勢いでした。

「乗っていて、最後、私も“凄い速い”って。信じられないと思いました」 〈35ページへつづく〉 

 ――地方競馬で印象に残ったジョッキーは?

「マトバサン(的場文男騎手)。本当にレジェンドです。あの年(63歳)で正しいアクションをしていらっしゃるし、勝ち鞍もたくさん。それでいて、すごく優しくて、私も励ましてもらった。とても優しかった。それからこの前、引退なさった……」

 ――森下さん(64歳の森下博騎手、3月31日で引退)?

「そうそう、初めて南関東で勝った時に“君うまいよ”って言ってくれた。うれしかったです」

 ――ちなみに、フランスであれぐらいの年まで乗っているジョッキーは?

「ノーノー。40から45歳でやめます。1人か2人は50歳くらいの人もいますけど……」

 ――南関東で印象に残った馬は。

「ベルロビン。初めて勝った馬です。でも、どれも印象に残っています。あと一頭ならホワイトベリー。(3月5日の)JRAとの交流戦で圧勝しました(9馬身差)から」

 ――わずか2カ月ほどで30勝。地方競馬短期免許の記録を更新しました。この数字に関しては。

「来た当初はこんなに勝てるとは思っていませんでした。勝ちたいとは思っていましたが、記録を塗り替えられるとは……。自分を褒めてあげたいと思います。オーナー、調教師にも感謝しています」

 ――今、日本語の勉強はどの程度、進んでいますか。

「最初は合間を見てと思っていましたが、レースと取材で大忙しでレッスンを受けることができていません。でも、耳は慣れてきました」

 ――競馬の用語も覚えました?

「スキニ。“好きに乗って。任せるよ”。それからジョウバ。パドックで馬に乗る時の合図です。あと、レース中ではイカセテ、イッテ。横に他の馬がいる時とかに」

 ――日本の食事は。

「お箸の使い方はすでにプロフェッショナルです(笑い)。でも、納豆。あのネバネバはダメ、絶対ダメ。それから尾頭付きの刺し身も……。これはなんなんだろうって」

 ――特に好きになったのは?

「餃子かな。山崎ブラザーズ(兄は所属先の山崎裕也調教師、弟は川崎の山崎誠士騎手)に酢とこしょうを混ぜて食べるのを教わって。これを普通のお店でもやったことがあったんです。近くにいた日本人のお客さんが“見て見て、すごい”って。そうそう、餃子を食べに亀戸にまで行きました」

 ――日本にいた時の思い出は?

「イカホオンセン、スモウ……。それからまだ競馬場にお客さんがいた時に、私の勝負服と同じデザインを着ている方がいて。“ケッコンシテ~”って声も飛んで、その場がすごく盛り上がり、大声で笑いました。いい思い出がありすぎて絞ることができません」

 ――最後に日本のファンにメッセージを。

「応援してくれてありがとうございます。みなさんに会えないのが悲しいです。すぐに帰ってきたいと思います」

 ――戻ってきたら、またインタビューさせてください。できればなるべく日本語で。フランス語のできる通訳を雇うと、お金がかかるので(笑い)。

「それは通訳さんがかわいそう(笑い)。でも、秋にJRAの試験を受けるので、もっと上手になりたいと思っています」

【写真】“美人ジョッキー”ミシェル騎手を離日直前に直撃!

(聞き手=武田昌已/日刊ゲンダイ)

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