昇級初戦で相手は一気に強くなるが、それでも◎アドマイヤハレーを狙ってみたい。
前向きさにやや欠ける面があったため、2走前からチークピーシズを着用。その初戦こそスムーズさを欠いて⑧着だったが、前走は7頭立ての5番人気。その低評価を覆すように、[7][2][2]と向正面からジワッとポジションを上げ、そのまま直線も押し切ってしまった。
終始、手応えが良く、1頭だけ次元の違う走りで快勝。しかも、二千二百メートルの勝ち時計2分11秒8は、近10年のこの重賞の勝ち時計より速い。そして何よりも、これまでと違って遊ぶようなところはなく、最後まで真面目に走り切っていた。
「馬具効果はもちろん、2走前にマーカンドにビッチリ追われて、そこから目覚めたようです。今までは調教も嫌々走っていたが、水曜の最終追い切りはグイグイと自発的にハミを取っていました。まさに覚醒した感じです」とは宮田師だ。
また日曜は天気が崩れる予報だが、これまで道悪では④止⑨③④②着。勝ち鞍はないものの、マイナス材料にならないのもいい。
連勝での重賞制覇に期待する。
【中山10R・アレキサンドライトS】 ◎アクションプランの前走は先行馬総崩れの厳しい展開。それを[4][4][2]から2馬身半も突き抜けた走りは強かった。
水曜は新たにコンビを組むキングが騎乗しての追い切り。池上和調教師は「全体的に好感触を掴んでもらいました。そして生ズルい性格もすぐに見抜いていました。癖を理解してもらえたのは良かったです」と。来日以来、逃げ、先行馬をもたせて好成績を残している鞍上とはピッタリ合いそうだ。
馬とは関係のない家庭環境で育った。ただ、母親がゲンダイの愛読者で馬柱は身近な存在に。ナリタブライアンの3冠から本格的にのめり込み、学生時代は競馬場、牧場巡りをしていたら、いつしか本職となっていました。
現場デビューは2000年。若駒の時は取材相手に「おまえが来ると負けるから帰れ!」と怒られながら、勝負の世界でもまれてきました。
途中、半ば強制的に放牧に出され、05年プロ野球の巨人、06年サッカードイツW杯を現地で取材。07年に再入厩してきました。
国枝、木村厩舎などを担当。気が付けば、もう中堅の域で、レースなら4角手前くらいでしょうか。その分、少しずつ人の輪も広がってきたのを実感します。
「馬を見て、関係者に聞いてレースを振り返る」をモットーに最後の直線で見せ場をつくり、いいモノをお届けできればと思います。