泣いたり笑ったり 記者の取材、印と馬券の物語

【泣いたり笑ったり 記者の取材、印と馬券の物語・有馬記念】07年①着マツリダゴッホ/新居記者

公開日:2023年12月23日 17:00 更新日:2023年12月23日 17:27

 2分33秒6――。

 人生でこれほど長く長く感じた有馬記念はありません。そして、何よりもうれしさと悔しさ、不甲斐なさなど、いろんな感情が入り乱れたこともありません。今でもあの情景を思い出すと、胸がギュッと締め付けられ、苦しくなります。

 07年のグランプリを制したのは9番人気マツリダゴッホでした。

 好位3番手追走から直線早めのロングスパートで、独走状態でゴール。鞍上の蛯名騎手が右手を高々と上げてガッツポーズをつくり、有馬記念を象徴する有名なシーンのひとつとなっています。

 勝負どころから場内の歓声が、地鳴りのように沸き上がるのと同時に、自分の血の気が引くのを鮮明に覚えています。

 勝ったマツリダゴッホは担当している国枝厩舎の管理馬。普段から取材をして、この中間も陣営の感触の良さを肌で感じて、蛯名騎手にも取材していました。そして、当該週の木曜発行紙面では「コース巧者マツリダゴッホ 大駆けムードが漂う」と特集記事を自分が書いていました。

 読者の方に最善の情報を――。これは当時も今も変わらないスタンスですが、予想は悩みに悩んだ末に「無印」に。◎は71年トウメイ以来、35年間も勝利がない牝馬の3歳馬ダイワスカーレットを抜擢。自分の中では牝馬に本命を打つのは“勝負予想”。それだけの器だと確信していました。

 距離適性がひとつのポイントでしたが、2番手で我慢の利いた落ち着いた走り。勝負どころからも抜群の手応えで、鞍上の安藤勝騎手が後ろを振り返る余裕も。5番人気と配当がつくことも後押しして、この時点で“ヨシヨシ”と思ったのも束の間。内からスルスルと空いたスペースを上がってきたのが、見慣れたシャドーロールと勝負服のマツリダゴッホでした。

 直線は後続馬とは離れて、この2頭だけの勝負に。自分の馬券はすでに「ハズレ確定」。血の気が引き、茫然自失とはまさにこのこと。まさか自分がそれを体感するとは夢にも思いませんでした。

 単勝5230円、馬連2万2190円、3連単80万880円の大万馬券なんですから。さらに追い打ちをかける事態も。

 レース後の取材の時です。騎手や調教師などに話を聞くため検量室に降りると、マツリダゴッホの馬主、生産者などは不在でした。

 当時の中山競馬場の検量室の裏側には「シャンパンルーム」がありました。これはレース確定後、オーナーが愛馬の勝ったレース映像を見ながら、シャンパンで祝う、至福の時を過ごす場所です。

 ですが、前記の通り、関係者はいません。なので、国枝師が「オレだけじゃ寂しいからおまえらも入れ」と報道陣を部屋に呼び入れてくれたのでした。

 冒頭の通り、いろんな感情が入り乱れ、複雑な心境。その状況下で再度、実況付きで2分33秒6の激闘を振り返る。そして、ゴールした映像のあとに「おめでとうございます。乾杯~♪」の音頭。勤務中でしたが、さすがに平常心ではやっておられず、ヤケ酒気味にグイッとシャンパンを飲み干しました。

 あれから16年が経過しましたが、その時の味は一生、忘れることがない苦い苦い思い出となっています。

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12月24日(日)中山競馬場

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新居哲

新居哲

 馬とは関係のない家庭環境で育った。ただ、母親がゲンダイの愛読者で馬柱は身近な存在に。ナリタブライアンの3冠から本格的にのめり込み、学生時代は競馬場、牧場巡りをしていたら、いつしか本職となっていました。
 現場デビューは2000年。若駒の時は取材相手に「おまえが来ると負けるから帰れ!」と怒られながら、勝負の世界でもまれてきました。
 途中、半ば強制的に放牧に出され、05年プロ野球の巨人、06年サッカードイツW杯を現地で取材。07年に再入厩してきました。
 国枝、木村厩舎などを担当。気が付けば、もう中堅の域で、レースなら4角手前くらいでしょうか。その分、少しずつ人の輪も広がってきたのを実感します。
「馬を見て、関係者に聞いてレースを振り返る」をモットーに最後の直線で見せ場をつくり、いいモノをお届けできればと思います。

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