【阪神大賞典】以前は少頭数が定番 近年は頭数増につれて堅い傾向からの変化が……

公開日:2025年3月20日 12:00 更新日:2025年3月20日 12:00

 阪神大賞典は1953年に芝二千㍍の重賞として創設されたのが始まり。その後、二千二百㍍に延長され、一時は三千百㍍だったことも(今はコース設定がない)。74年からはずっと三千㍍戦として定着している。
 ただし、86年までは11月、もしくは12月の施行。このレースは暮れの長距離戦で、今でいう3歳馬も数多く出走し、菊花賞の敗者復活戦的な意味もあった。

 以降、阪神の改修のために中京、京都で施行された年はあるものの、天皇賞・春の前哨戦としての位置づけや条件は一切、変わっていない。

 そんな阪神大賞典の最大の特徴は「とにかく1番人気が強い」ということだ。

 レースデータが電子化されている1986年以降、1番人気馬は〈20955〉。勝率が5割を超え、③着内率・872。もちろん、こんな重賞は他にはなく、全重賞の中で最も1番人気が信頼できる重賞だ。

 その理由のひとつとして、少頭数だったことが挙げられる。

 タマモクロスが勝った88年は7頭立て、メジロマックイーンが勝った92年は6頭立て。ディープインパクトが4歳初戦に選んだのもこのレースで、9頭立てだった。

 そんな阪神大賞典にも、近年は変化が訪れている。頭数が1ケタだったのはゴールドシップが勝った14年(3連覇した真ん中の年)が最後で、15年以降はずっと10頭以上。ここ3年は13、14、15頭立てで、以前のような少頭数が当たり前ではなくなりつつある。

 それにより、「1番人気が強い」という傾向にも、やや変化が出てきた。

 ここ5年は⑦⑦①③②着。20年は前年の菊花賞馬キセキ、21年も前年の菊花賞でコントレイルに迫ったアリストテレスが⑦着に敗れたのだ。

 ここ2年もやはり前年の菊花賞②着馬で、有馬記念でも②着だったボルドグフーシュがここでも②着、前走の日経新春杯勝ちで初タイトルを手に入れたブローザホーンが③着。このあと、GⅠ勝ちを決めた馬でも、連対を外している。

 今年は登録の段階から11頭とここ3年よりは少ないが、以前のように堅くは収まらない!?

最新記事一覧

  • アクセスランキング
  • 週間