目黒貴子のアツアツ交遊録

〈97〉お医者さんだけど実は実況アナウンサーになりたかった…… 井関隼さん(2)

公開日:2024年2月7日 14:00 更新日:2024年8月29日 17:10

(1月31日分から続く)
 あるあるって何?

「ほら、あるある探検隊のあるあるだよ」。顔を見ると、「あ、確かに。でもどっちに似てる?」。これについての渡辺さんの答えは忘れてしまいました。

 今回あらためて「どっちなの?」と本人に尋ねたところ、「ボクもわかんないんですよ。どっちにも似てるって」。だよね。「足して2で割った感じだよね」。こんな会話もありました。ということで、私は井関さんのことは以前から「あるあるくん」と呼んでいます。

 あるあるくんが初めて競馬に触れたのは友達が持っていたゲームのウイニングポスト。まだ小学生の時です。

「中山ってあるじゃないですか、ボクはその頃活躍していたサッカーのゴン中山と関係あるのかな? それとも横浜線の中山にあるのかな? と思ってましたよ」。

 そんなウイニングポストを楽しんでいた週末、競馬はその年の締めくくり有馬記念でした。そこで、中山競馬場は千葉県船橋市にあることを知り、運命の出会いがあります。

「衝撃でした。実況が〝かっこいい!〟って思ったんです!」。

 その有馬記念はトウカイテイオー奇跡の復活と言われた名レースです(私も馬券が当たったので特に印象に残っているのかもしれません)。

 そこで実況にフォーカスするあたり、あるあるくんだなと思うのです。

 幼くして競馬ファンとなったあるあるくん。しかし母親は反対。そもそも「競馬ってスゲーなー」と思ったナリタブライアンの3冠はまだ10歳。なんとなくお母さんの気持ちもわかります。

 中学は音楽部に。ほとんど活動せず、「土曜日はなるべく早く学校を切り上げて、中央競馬ワイド中継に間に合うようにダッシュで家に帰りました」というあるあるくん。その番組出身の私からすると、とてもうれしいことです。

「はじめはフジテレビのスーパー競馬からでした。でも1時間しかない。調べてみたら〝12時半からやっている番組があるじゃん!〟ってみるようになり、ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)の実況アナウンサーに憧れるようになったんです」。

 それからのあるあるくんは親の目を盗んでは家で実況の練習を繰り返します。両親ともに出かける時はチャンスとばかりに。

 しかし……
(続きは2月14日に更新)

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