柴田善が引退会見で語った引き際の心境

公開日:2026年9月16日 12:15 更新日:2026年9月16日 12:33

家族には1カ月半ほど前に伝えた

 関東のトップジョッキーとして長年に渡り活躍してきた柴田善臣騎手が、惜しまれながらムチを置く。キャリア42年、7月に還暦を迎えたJRA最年長。一つの時代を築いた大ベテランが、記者会見で引き際の心境を語った。

柴田善騎手 私のためにこんな記者会見まで開いていただいて、ありがとうございます。ほんとは開きたくなかったんですけど(笑)。あまりこういうのは得意じゃないので。

 でも、いろいろとお世話になった方々に、この場でお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 もう少し続けたい気持ちはあったんですけど、ケガが多くきつくなってきたので、こういう決断になりました。これからはJRAのアドバイザーということで、またみなさんと顔を合わせることもあると思います。朝、(調教)スタンドで普通にコーヒーを飲んだりしているので、声をかけていただけるとありがたいです(笑)。

――引退の一番の決め手となったのは。

 最後の騎乗の1個前だと思うんですけどね。なんか変な感じだなと思って、最後の騎乗でもう、「あ、これいったな」と。昔からやっぱり痛かったし、速い動きができない状態で我慢していたので。ま、そういうのが決め手かなと思います。

 リハビリも左肩を手術した時に9カ月かかったんで。今回また右肩、利き腕を使えないっていうのはかなりのリスクがあると思うし、それ以上かかるなっていうのもありました。復帰に向けてトレーニングをする中で、違う部分も痛んできたり。ダラダラやるよりは、と思って、このタイミングで決めました。
 そういう姿をやっぱり家族は見ているので、きついのは分かってる。何も言わずサポートしてくれてたので、まあ、一番最初に1カ月半ほど前に伝えました。

――その時の反応は。

「もういつかはやめるんだな」と。でも、言葉、言葉に「無事に終えて」っていう感じがしましたね。「何もなく引退できて良かった」という風には言っていました。

思い出に残る馬はホクトヘリオス

――長く騎手生活をされていて、一番思い出に残っているレース、出来事を教えてください。

 先輩である南田(元)調教師が現役の騎手だった時にホクトヘリオスという馬に乗っていて、その馬を調教から任されてレースで乗ったのが、凄く自分の中で印象に残ってますね。レースの流れとか教えてくれたのかなって。特徴的な豪快なレースをする馬で。最初はもっと押さえていきたかったんですけど、もう黙って背中に乗ってる感じで、馬がそういう感じで動かなかったんで。それからですね、馬をほんとに信用して、今どういう状態なのか、どうやって走りたいのか、そういうのを考えさせられたのが、やっぱりあの馬とのレースでしたね。

――今後やっていきたいことのビジョンは。

 金、土、日と今度から時間ができて、またスマホも使えるようになるんで(笑)。スマホの使い方を少し勉強しながら活用して、今まで学んでこれなかったものを学んで楽しめればいいかなと思ってます。

 JRAのアドバイザーという仕事をいただいて、それに対しては凄くやってみたかった。お節介にならない程度に、お手伝いできればなと。若い子にもやっぱり昔の流れってものを教えながら、それで今の流れに合ったアドバイスができればいいかなと思ってます。

――還暦になるまで現役を続けてこられた秘訣を教えてください。

 数年前から引退式はやりたくないなって。自分はそういう感じじゃないしと思いながらここまで来て(笑い)。

 ほんとはやっぱり馬に乗りたいんですよね。競馬に乗りたいんです。それを考えるのが好きで。調教もそうでしたけど、やっぱり今週乗る馬、明日乗る馬、どうやって乗ってあげよう。先週こうだったから、こうやってあげた方がいい調教ができるんじゃないかとか、どこが足りなかったのかとか。やっぱり前の日にずっと考えながら、実際、追い切りに乗って実践して、それをレースに生かすっていうね。

 で、レースで成績が出せると凄いうれしいし、そういうのが毎週末、毎週末サイクルができちゃってるじゃないですか。それで、なんか、ここまで来たのかなっていう感じです。で、ある日突然やっぱり自分の体が思うように動かなくなり、言う事がきかなくなり、「あ、無理かな」っていう感じで決断しただけで。

自身の最強馬はキングヘイローとジャスタウェイ

――今まで乗ってきた中で最強馬は。

 強いなと思ったのは、やっぱり能力的にはキングヘイローだね。コントロールが難しいだけで、凄く力のある馬。もっと生かしてあげられたんじゃないかなって、自分ではまだ悔いが残ってる。

 で、強くなったのはやっぱりジャスタウェイだね。若い時にも乗ってますし、その成長ぶりは凄く分かってました。安田記念は3コーナー過ぎであきらめてもいいような位置で、馬場も悪かったから、〝これもう無理だな〟と思って。それを最後まで頑張って、やっぱり強い、世界一の馬だなと。

――後輩の騎手にこれだけは言い残したいということはありますか?。

 そうですね、昔は殴られたぞって(笑)。ちょっと甘いんじゃないのか、って。ま、昔からみんな先輩とかにも言われたし、自分も言いましたけど、やっぱり自分の置かれている立場、騎手というものが世間からどういう目で見られてるか。自分でちゃんと肝に銘じて行動しなければいけない。
 あとはもう技術面は上手い下手は個人のセンスがありますから。センスがない人は努力していけばいいだけ。いくらでも伸びることができるのに、それを途中であきらめることはして欲しくないです。

――このレースは勝ちたかったなっていう心残りはありますか。

 負けたレース全部です。やっぱり勝っても満足のいくレースってあまりないんですよね。だから負けたレースは余計悔しいですよね。「あーすれば良かった、こうすれば良かった」って寝られない夜もありましたし、それを理由にやけ酒飲んだこともありました。だから、それを減らすために残っていたかったけど、やっぱりそれが叶わないっていうのは、なんか、ちょっと残念です。

――ファンの方にメッセージをいただければ。

 これだけ長い期間、騎手をやらせていただいて、やっぱり聞こえてくる言葉ってのは「買ったら来ない」とか「買わなきゃ来る」(笑)。まあ、そりゃそうですよね。たくさんの人に迷惑かけてきたんで。「すみません」って思いながら、一生懸命それに応えるように乗ってたんですけどね。でも、ほんとに楽しくできたので、たくさんの方に応援されて、声かけていただいて、ありがとうございます。

すごく楽しい42年間だった

――どんな42年間でしたか。

 凄く楽しい42年間。苦しい時もあったけど、それ以上に楽しかった。周りの方々に落ち込んでる時に声掛けけてもらったり、支えてもらって感謝の気持ちが強いです。ジョッキーは人に夢とロマンを与えられる職業だと思います。引き締めてやっていかなきゃいけない仕事。やり切れた感はないです。悔いはあります。やめてももっといい景色が見られるのではと思っているので。その途中で。いったん自分の趣味が一つできなくなるなと思ってます。

――横山典ジョッキーや武豊ジョッキーへのメッセージを。

 自分もそうだけど、ノリ、ユタカ、正義(蛯名師)、勝春(田中勝師)、みんなで盛り上げてきたので、その流れを崩さずにやっていってほしい。若手の教育も自分も力になりますから。ドンと構えてもっといい競馬にしていってくたらと思います。


柴田善臣
1966年7月30日生まれ
出身地:青森県
JRA初騎乗:1985年3月9日6Rイズミサンエイ
JRA初勝利:1985年4月7日3Rイズミサンエイ
JRA通算成績:22,311戦2341勝(歴代6位、現役3位)
JRA重賞勝利:96勝(うちGⅠ9勝)

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