(2月14日分から続く)
しかし、ある日いつものように実況していたら「君、すごいね」と声をかけてくれた人たちがいたそう。「自分より20歳くらい上のおじさんたちでした」。なんとなく話が盛り上がって、「今度一緒に競馬場に行こう」となり、はじめて一般席で競馬場観戦となったわけです。
それは01年のアルゼンチン共和国杯でトウカイオーザが勝った日。はじめてテレビで観たのが有馬記念で復活のトウカイテイオー。その弟のトウカイオーザが勝つなんて縁を感じます。
その日は一般席で実況をしたそうです。まるで中継の番組をそこでつくっているかのように。そのおじさま方とも今もまだ関係が続いているとのこと。ひょんなことからつながった縁を大事にする。あるあるくんの人柄がよく表れていると思います。
04年、埼玉医科大学へ入学。その秋からラジオNIKKEIの中継の技術の担当としてアルバイトが始まりました。
「放送席に入って憧れの人たちと仕事をともにすることに、ある意味パニック状態。たくさん怒られました」と苦笑い。
医学部に通っているか、実況の練習をするか、NIKKEIのバイトをするかの日々でした。
「渡辺さんからすればうるさいやつだなぁとか思われていたかもしれないけど、笠野さんが言ってくれたんです。本当に競馬が好きなんですねって」。
笠野さんとは大川慶次郎さんの付き人をやりながら競馬に関する資料をつくってくれていた方。その資料の細かさに驚かされることも多く、フジテレビやラジオNIKKEIの実況アナウンサーに限らず、私も毎週その資料をいただいていた身です。
一枚のB4の紙にびっちりと書かれたそれは、どの馬が勝ってもすぐにその背景を話せるように配慮されていて、とても重宝したのを覚えています。
あるあるくんにとってはその一言がとてもうれしかったんでしょう。
「笠野さんにはいろいろな競馬場に連れて行ってもらいました」。また一般席での実況も続けていましたが、周りから変な目で見られたり、「うるせーっ」って言われたり。そんな愚痴を聞いたあるラジオNIKKEIのアナウンサーからは「ふざけるな! そいつらを黙らせるくらいまでやれ」って言われたんだそう。
「燃えましたね」。今は亡き笠野さんへの感謝、そしてまたこう言ってくれた現役のアナウンサーの言葉は、あるあるくんにとっては非常に大きいものだったと思います。今も仕事のない週末は一般席で実況の練習をしています。見かけたら温かい目で見ていただけたらと願います。
さて……
(続きは2月28日に更新)
競馬キャスター
テレビ東京の「土曜競馬中継」などでリポーターを務め、競馬サークルに幅広い人脈をもつ。YouTubeの「日刊ゲンダイ競馬予想」で武田、大谷記者とともに出演。また、毎週水曜には「目黒貴子のアツアツ交遊録」を連載中。