目黒貴子のアツアツ交遊録

〈97〉お医者さんだけど実は実況アナウンサーになりたかった…… 井関隼さん(3)

公開日:2024年2月14日 14:00 更新日:2024年8月29日 17:11

(2月7日分から続く)
 しかし、いきなり帰ってきては怒られる日々。それでも実況への熱い思いは変わりません。

 ある時、こんなイベントの開催を知ります。「素人実況アナウンサーコンテスト」。そこであるあるくんは自分の実況したアドマイヤベガの勝った日本ダービーの音源を主催者に送り、採用されます。

 ぜひ本番でもというお墨付きをいただいて、いざプラザエクウス(現在のGate J)。親に内緒にしようか迷いながら、告白します。

 すると返ってきた言葉は「絶対ダメ!」。泣きながら出演を辞退。それでも会場には観客として母と足を運びました。

 そのイベントではコメンテーターとしてフジテレビの三宅アナ、ラジオたんぱの白川アナとエース級のアナウンサーが批評してくれるなど、実況マニアのあるあるくんにはたまらない時間だったと思います。

 最後に「〝飛び入りでどなたか実況やってみませんか〟と観客に振られたんです。手を挙げたかった。でも隣を見たら母親がめちゃ怖い顔で睨んでて…」。またも断念。

「あそこでもし実況してたら、ボクの人生変わったかもしれないななんて思ったりしてます」。うわー、こんな残念な話があるんだろうか。でも、そのコンテストに参加していた、現在兵庫県競馬で実況している三宅きみひとアナウンサーと出会い、これまでもずっと仲良くさせてもらっているそう。それに実は現在ラジオNIKKEIで実況を担当しているある方も同じ会場にいて、後にその話となって随分盛り上がったとか。悔しい思い出ではあっても得るものもあったわけです。

 高校は演劇部。「声の出し方のノウハウを得たのは大きかった」と振り返ります。演劇というよりはやはり軸には実況があるようです。

 そして進路を決める時。実況アナウンサーへの夢は捨てきれません。しかし母親からは医者になることを懇願されます。

「祖父が井関医院の医者だったことが大きいんでしょうね」。しかしあるひとつの条件も得ることができました。「医者になったら何をしてもいい」。文系から理系へと転換し、医者への道を歩みはじめました。

 浪人中、やはり実況アナに対する憧れは続きます。ゲームセンターに入り浸って、スターホースというゲームの傍らで勝手に実況をつけていたそうです。

「ヤクザに怒られたりとか嫌な思いもさんざん経験しました」。

 しかし、ある日いつものように実況していたら……

(続きは2月21日に更新)

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