「東京競馬場の場合、直線のどこで双眼鏡を外すか。それが重要です」
今週は3歳女王を決めるGⅠオークスだ。舞台は東京競馬場の2400メートルで、歴代女王にはその後の中距離路線で活躍する名牝がズラリと並ぶ。その歴史をさかのぼること15年、2010年第71回は2頭の名前が刻まれている。JRAのGⅠでは初めての①着同着。アパパネとサンテミリオンが鼻面をそろえてゴールした。そのレースを実況したアナウンサー・舩山陽司さん(51)に当時の思い出を中心に話を聞いた。
「あの日は朝から雨が降っていて、5レースまで良だった芝は8レースから稍重に悪化し、かなり時計がかかるコンディション。その後も雨はやまず、どんよりとした雲に覆われたまま迎えたオークスでした」
1番人気は桜花賞馬アパパネで、同④着ショウリュウムーンと同②着オウケンサクラ、同⑤着アプリコットフィズが続いて、前哨戦のGⅡフローラS勝ちから参戦したサンテミリオンが5番人気だった。雨中の大一番とあって、アパパネの単勝オッズ3・8倍が示す通り人気は割れていた。
「アパパネは桜花賞馬といっても、そのステップレースのGⅢ(当時)チューリップ賞は重馬場でショウリュウムーンの②着に敗れていました。一方、サンテミリオンは3歳になってからのデビューで、GⅠ組とは初顔合わせ。個人的には2頭それぞれに不安材料があり、大荒れの可能性もありそうだと思いながら東京競馬場9階にある実況席に座りました」
天気によって帽子の色が判別しにくくなる
競馬中継は民放のテレビやラジオでも行われるが、ラジオNIKKEIはJRAのオフィシャルとして実況を担当する。全国の競馬ファンにレースを伝える重要な役割だが、実況席からコースの見え方は競馬場によってかなり異なるそうだ。
「東京競馬場の実況席はゴール板の真上に位置しているので、ゴール直前の様子をしっかりと把握して熱戦を伝えることができます。しかし、競馬場がとにかく広いので、天気がいいと、白と黄、オレンジとピンクがどちらも帽子に光が反射して判別しにくい。逆に暗いときは黒と青が分かりにくく、もっと暗いと緑までいずれも黒っぽく見えるのです」
ほかの競馬場はどうなのか。
「改装前の旧京都競馬場は実況席がゴール板より手前にあるので、自分の前を通り過ぎて際どい勝負のときは大型ビジョンに頼っていました。実況泣かせなのが、新潟競馬場です」
名物の芝千直が“くせ者”だという。
「千直のスタート地点が遠いので、実況席から身を乗り出さないと見えません。それでも何もなければ、10倍の双眼鏡で見ながらスタート直後の落馬もフォローして、しっかりとしゃべり続けることができます。つらいのが民放のカメラで、ややスタート地点寄りのところに民放の実況席があって、カメラが飛び出して撮影するとまったく見えなくなるのです。それで、カメラが視界をさえぎらないように申し入れて改善されるようになったのですが、事情を心得ないカメラスタッフが来ると、時々、設定ラインを飛び出ることがありました。レースが始まると注意できないので、これも大型ビジョンに頼るしかありません」
新潟の障害コースで2850メートルと2890メートルはスタートしてすぐに外回りの3コーナーに入る。これも実況席から遠く、かなり見づらいという。見やすい競馬場はどこなのか。
「中山競馬場です。中山で失敗したことは一度もありません」
昨年3月3日、ラジオNIKKEIの藤原菜々花アナウンサーがJRAとしては初となる女性実況のデビューを飾ったのも中山だった。デビュー戦に中山が選ばれた背景には、そんな特徴も影響したのだろうか。
アパパネとサンテミリオン、まったく見分けつかず
話をオークスに戻す。ゲートが開くと、「わずかに先頭はアグネスワルツです。しかし、それを制してニーマルオトメが積極果敢に飛び出して、リードを2馬身、3馬身とって、ハナを奪ったニーマルオトメ」とスタート後の様子を描写していた。
「混戦といっても、ファンの注目はアパパネでしたから、そこは外せません。1コーナーへの進入で『サンテミリオンも好位につけまして、その後ろにアパパネです』と位置関係を伝えながら2頭に触れています。ニーマルオトメが後続を引き離してアグネスワルツが2番手で向正面に入ると、3番手以下の馬群にはそれほど動きがありませんでした。『中団にオウケンサクラ、外からサンテミリオン』としゃべってから、『アパパネは後方から6頭目の位置』と後方でガマンしている様子をしゃべっていました」
時速60キロ程度で走り続ける馬たちを馬群の状況とともに正確に伝える技術はさすがプロ。GⅠレースの実況で緊張はないのか。
「1999年にラジオNIKKEI(当時は日本短波放送)に入社して11年。GⅠの実況も2004年から担当していたので、緊張はありませんでした。ただ、どんなGⅠでもやっぱり桧舞台を担当する醍醐味はあって、独特のハイテンションな気分はあります」
4角にかけて後続馬群が先頭との差を詰めて直線に向くと、アグネスワルツが先頭に躍り出た。直線の攻防であの2頭に焦点を切り替えた。
「大外から追い込んできたアパパネとサンテミリオンの脚色が目立っていて、アグネスワルツをかわすのは明らかでした。③着争いに加わってきそうなのも、アニメイトバイオくらいだったので、ゴール直前は2頭の名前を連呼し、最後は『まったく並んでゴールイン』と結んだ通り、どちらが勝ったかまったく見分けがつきませんでしたね。わずかでも差を判別できれば、そちらに言い切りたいのですが、ゴール板を過ぎた様子も『アパパネか、サンテミリオンか。まったく譲りませんでした』とフォローしています」
直線の攻防は、どんなレースでも白熱する。GⅠならなおさらだが、実況アナならではの要素が明暗を分けることもあるという。
「実況アナの必須アイテムが双眼鏡で、スタートから双眼鏡越しに馬を追います。東京競馬場の場合、直線のどこで双眼鏡を外すか。それが重要なのです」
なぜか。
「東京は内と外に馬が広がるので、双眼鏡を使い過ぎると、その視界に外れた内や外から伸びてくる馬を見逃したり、描写が遅れたりするのです。アドマイヤムーンが勝った07年のジャパンCは、1番人気メイショウサムソンが外からウオッカと一緒に追い込んできて、そちらを双眼鏡で見過ぎたため、内からアドマイヤムーンの抜け出しをフォローするのが遅れました。ミスでしたね」
今年のオークスはどんな名勝負を生み、実況アナはレースをどう伝えるか。実況アナの描写に注目してみるのも面白そうだ。