「出場する馬術の大会で必ず入賞してくれます。周りの人に自信をもたらす大切な〝先生〟です」
ノーザンファームで2016年2月6日に産声を上げたダノンチェイサーは、GⅠ2勝の母にディープインパクトを配合した良血で、翌年のセレクトセール1歳部門で2億7000万円で落札された。クラシックへの登竜門きさらぎ賞を3番人気で制して、GⅠNHKマイルCにコマを進めたが、グランアレグリアの斜行のあおりで④着に沈む。その後は勝ち星に恵まれず、23年1月のニューイヤーSを最後に競走馬を引退している。いまどうしているのか。
JRAでの競走馬登録が抹消された直後、ダノンチェイサーは滋賀県甲賀市にある吉澤ステーブルWESTで乗馬になる予定と報じられた。ところが、そこにはおらず、現在の繋養先を探すと、別の牧場だった。同じ甲賀市の湖南馬事センターだ。
このセンターは、将来の競馬界を担うホースマンを養成するコースを設置。毎年4月と10月に各15人ほどが入学すると、半年かけて騎乗の技術や知識などのトレーニングを受ける。こうした施設は各地にあるが、ここは比較的若い馬が多く、より実戦的なトレーニングを積めるのが特徴だ。
チェイサーがこのセンターにいるということは、ホースマンの卵たちを乗せているのか。
「いえいえ、違います。ウチは、会員制の乗馬クラブも運営していて、チェイサーはそのクラブの乗馬で活躍しているんですよ」
こう言うのは、チーフインストラクターの須田和さんだ。幼いころから乗馬に親しんだ須田さんは、育成牧場や乗馬クラブなどで腕を磨き、このセンターへ。競走馬の育成も乗馬も、どちらもベテランだ。同じスタッフの中には、国体の馬術で優勝した人もいる。
去勢手術も含めてリトレーニング期間は1年
そんなスタッフに囲まれてチェイサーは、第二の馬生として乗用馬に転じたわけだが、引退した競走馬が乗馬に転用されるとき、移籍してすぐに乗馬でデビューできるわけではない。乗馬になるためのリトレーニングが必要だ。チェイサーも当然、そのリトレーニングを受けている。そのときの状況や近況を含めて須田さんに話を聞いた。
「実はこちらに移動してきた当初は、養成コースの生徒さんを乗せるつもりでリトレーニング計画を立てたのですが、すぐに飛越センスが優れていることが分かったので、乗馬一本でトレーニングを重ねたんです」
チェイサーは競走馬としての現役時代、折り合いが難しいというコメントがよく聞かれた。その点はリトレーニングに影響しなかったのか。
「性格的にプライドが高く、我が強い部分があるので、最初は教えることに反抗するそぶりも見せました。でも、とても賢くて、受け入れて理解したことはすぐに吸収してくれます。なので、人間との主従関係や距離感などをしっかりと教えていくと、持って生まれた前進気勢の強さもうまく制御できるようになりました。2年前の1月にこちらに移動してきてから去勢したので、その手術期間も含めてリトレーニングに要したのは1年ほどでしょうか。その年の年末には大会にも出場していましたから」
一般に乗馬クラブでは、オーナーが馬を単独で所有してクラブに預けて世話や調教をしてもらいながら乗馬を楽しむケースが一つ。これは自馬という。預託料や調教料、さらには装蹄料、治療費、そして大会に出場する際の人馬の登録料はすべてオーナー負担だ。その負担は重いが、オーナー以外は騎乗できない。1頭を独占できるのがメリットだ。これとは別に馬を所有せずに、月の会費や騎乗料などを払って楽しむプランも一般的だ。チェイサーの場合は、半自馬でオーナーとクラブが半分ずつ持ち合っているという。
「オーナーさまが来られるときはオーナーさま優先でパドックを周回されたり、世話をされたりします。それ以外の日は、会員が騎乗してレッスンです。チェイサーの一日は、午前中に運動や障害飛越の練習などをして、午後はお休み。これが一般的なスケジュールですね」
乗り手のミスをカバーする飛越センスの高さ
オーナーや会員の評判はどうなのか。
「オーナーさまは、プライドの高さとかわいらしいしぐさを気に入ってらっしゃいます。会員からも『乗りやすい』と評判ですよ。私も乗りやすさを実感しています。たとえば、馬術の大会に出たときに飛越のタイミングが少し早くて失敗しそうかなということが時々ありますが、チェイサーはその状況を察知して踏ん張ってカバーしてくれるので、ミスになりません。しっかりと飛越してくれます。そういうところが、チェイサーの障害センスの高さです」
昨年4月には、「RRC滋賀大会」に出場。この大会は引退競走馬杯といわれ、引退競走馬が乗馬や馬術で活躍してセカンドキャリアの充実を図るとともに、ホースマンの育成やリトレーニング技術の向上なども狙って18年から開催されている。ザックリ言えば、引退競走馬の馬術の祭典だ。
チェイサーが須田さんとともに出場したのは障害馬術。障害をミスなく飛越しながらタイムを競う部門で、19年の牡馬3冠すべてで③着以内に食い込んだヴェロックスや佐賀のJpnⅢサマーチャンピオンを勝ったサヴィなど重賞馬が名を連ねたほか、選手としてはJRAの障害騎手・小牧加矢太や栗東の中内田充正調教師もエントリー。競馬ファンにはおなじみの馬や関係者が出場したとあって、当時はSNSなどでも話題になっていた。
「オーナーさまは、その大会に出場できる段階ではなく、私が参加させていただいたのですが、チェイサーはオンとオフがハッキリしていて、大会では集中して力を発揮してくれました。その大会もそうですし、最近は出場する大会で必ず入賞してくれるので、本当に頼もしい存在に成長しました。オーナーさまはもちろん、周りの人に自信をもたらしてくれるので、大切な“先生”です」
そのRRC滋賀大会では27位だったそうだ。
「チェイサーはまだ9歳と若く、脚元や内臓などはすこぶる元気なので、もっともっと成長してくれると思います。チェイサーやオーナーさまと一緒に、私や会員の方々も成長できたらうれしいです」
このセンターには、ダートのオープン馬ビックリシタナモーや砂から競走馬としての終盤は障害に転じたイメルなども乗馬に名を連ねているほか、引退した名馬として15年のGⅡアメリカJCCを制したクリールカイザー、10年のGⅡニュージーランドTを勝ったサンライズプリンスも繋養されている。どの馬も元気に過ごしているのが何よりだ。