【有馬記念】武豊 年末のグランプリは栄光と挫折の歴史
公開日:2024年12月16日 14:00 更新日:2024年12月16日 14:00
スーパークリークの失格に始まり、オグリ、ディープ、キタサン…
ドウデュース騎乗の武豊は今年の有馬記念が実に34回目の出場となる。もちろん、現役では最多(2位の横山典が今年で30回目)だ。
先頭ゴールインは4回で、これは池添と並んで最多タイ。最初はあのオグリキャップとのコンビでラストランを飾った90年だ。
天皇賞・秋⑥着、ジャパンC⑪着と不振に陥ったオグリ。だが、同年の安田記念以来、2度目のコンビとなった当時21歳の天才ジョッキーによって、オグリは鮮やかによみがえった。
2度目の制覇は06年のディープインパクトだ。ラストランとなったここは、まさに負けられない戦いだった。単勝は1・2倍の圧倒的支持だった。
次いで17年のキタサンブラックもラストランVだった。北島三郎オーナーも来場した「お別れセレモニー」では名曲「まつり」の大合唱となったのは記憶に新しい。
そして昨年のドウデュース。武豊が天皇賞・秋当日に負傷し、ジャパンCと2戦続けて騎乗できなかった鬱憤を、ここで見事に晴らしてみせた。
だが、栄光がある一方で、悔しさ、挫折もあったのが有馬記念だ。
初騎乗だった88年に初めてGⅠを制したスーパークリークで参戦。3位で入線したが、直線の斜行で失格となった。
91年はメジロマックイーンで単勝1・7倍の支持を受けたが、単勝万馬券の伏兵ダイユウサクの強襲にあって②着に惜敗。96、97年はマーベラスサンデーでともに②着に敗れた。
今回のドウデュースのように秋古馬王道GⅠ3連勝をかけて挑んだのが99年のスペシャルウィーク。「勝った」と思った武豊、「負けた」と思った的場均(現調教師)だったが、写真判定の結果は的場グラスワンダーの鼻差勝ち。その差はわずかに4センチだったと言われている。
また、日本の競馬史上に残るディープインパクトの唯一の敗戦が、05年のこのレース。先に抜け出したハーツクライをとらえることができなかった。後日、この頃のディープは感冒気味だったことが明らかになっている。
また「まつり」の前年である16年、キタサンブラックでサトノダイヤモンドの首差②着。合計で有馬記念②着は8回もあり、これは武豊の全GⅠの中でもちろん最多だ。
オグリ、ディープ、キタサンはラストランV。そしてドウデュースも、となるか。5回目の勝利なら、歴代単独トップに立つ。