「現役の種牡馬で今年は5頭に種付けしました。無農薬の野草をおいしそうに食べています」
秋のダート王決定戦チャンピオンズCは2000年、日本初のダート国際競走となるジャパンCダートとして東京で始まった。JCダート最終年・13年の覇者がベルシャザールだ。そのタイトルで15年から社台スタリオンステーションで種牡馬となった。今どうしているのか。
種馬はほかにスピルバーグなど4頭
父キングカメハメハと母マルカキャンディ(父サンデーサイレンス)の間に生まれた牡馬は10年、京都で迎えた芝千八の新馬戦を1番人気で勝ち上がると、OP特別だったホープフルSもゲットしてクラシック路線へ。3冠馬オルフェーヴルが制したダービーでも③着とGⅠでも善戦したが、翌年のダービー卿チャレンジTで骨折が判明。復帰を機に13年からダートに転向し、トントン拍子でGⅠ馬になった。その年のJRA賞最優秀ダートホースに選ばれている。
14年はフェブラリーS③着からドバイWCに向かうも、⑪着に惨敗し、ケガが判明したこともあって、社台スタリオンSで種牡馬入りした。その後の所在をたどると、16年にブリーダーズ・スタリオンSに移動し、今は青森県東北町にある東北牧場にいることがわかった。
「ベルシャザールがウチにやってきたのは2021年。今年で16歳になりますが、ケガや病気をすることなく、元気いっぱい。現役の種牡馬です。去年種付けしたうち、今年生まれた当歳の産駒は4頭います。みんな、馬っぷりがよくて、今年も5頭に種付けしました。まだまだ頑張ってほしいですね」
こう言うのは、柏崎一紀牧場長だ。
東北牧場は1917年にサラブレッドを生産、育成、調教する牧場としてスタート。47年には、生産したマツミドリが日本ダービーで優勝するなど老舗牧場だ。
100ヘクタールの敷地には現在、30頭以上のサラブレッドが暮らす。マツミドリの馬主は別だったが、今は生産した馬をフォレブルー名義で全国の競馬場に送り出すオーナーブリーダーで、最近の出世頭は大井に所属するギシギシだ。地方競馬では大台の1億円超の賞金を稼ぎ出している。コアな競馬ファンならご存じだろう。
「種牡馬はベルシャザールのほか、ノーザンリバー(父アグネスタキオン・JpnⅡさきたま杯や東京盃、GⅢアーリントンCなど)とヘニーハウンド(父ヘニーヒューズ・GⅢファルコンS)、スピルバーグ(父ディープインパクト・GⅠ天皇賞)がいて、10頭ほどの繁殖牝馬との種付けを工夫しながら頑張っています。その中でも、ベルシャザールは暴れん坊。今は種付けシーズンオフなので穏やかですが、シーズンになるとやんちゃになります。それでもしっかりと種付けしてくれるから、大事な種牡馬ですよ」
厩舎から出ると、当歳馬は離乳するまで母馬と一緒に、離乳した1歳馬は仲間と一緒に放牧地を駆け回るが、種牡馬は1頭で過ごす。ベルシャザールも1頭でのんびりしているそうだ。
東北牧場がある青森県東部は良質な牧草が育つため、元々、軍馬や農耕馬の生産が盛んで、競走馬の生産地としても有名だった。前述した通りマツミドリをはじめ、62年のフエアーウインまで7頭がダービー馬になっている。日本の競馬史にその名を刻むグリーングラスも青森産だ。
一方、80年代から北海道の牧場が台頭していく中、大正から続く老舗の東北牧場は農業にも力を入れる。87年、農事部を設置し、循環型農業に取り組み始めたのだ。
「サラブレッドの生産や育成に加えて、農薬と化学肥料を使わない野菜の栽培を始めたのです。馬房で使った敷き草や馬の糞、尿を集めて、微生物によって分解されて完熟すると、半年ほどで有機物をたっぷり含む良質な堆肥になります。これを畑にまいて野菜を育て、一緒に育った野草は飼料として馬が食べる。これがウチの循環型農業ですよ」
当初は、従業員が食べる程度の野菜を栽培するくらいだったそうだが、あまりのおいしさが評判を呼び、本格的な無農薬栽培も馬産と並行して行うようになったそうだ。そうして確立したのが循環型農業で、その技術力の高さは全国から注目されている。
世界初!残留農薬ゼロの卵
畑は敷地全体の1割ほどの10ヘクタール。手掛ける野菜は大根、キャベツ、ヤーコン、ナガカボチャ、ジャガイモ、ニンジン、小松菜、水菜、カラシ菜、チンゲンサイ、タマネギ、コリンキーカボチャ、ピーマン、ナス、ツルムラサキと旬に応じて栽培する。何と80種類にも及ぶそうだ。
「野菜本来の味が濃くて安心安全です。サラブレッドは、その周りで育つ野草を食べます。もちろんベルシャザールも、ほかの馬たちもね。馬にも体に悪いものはまったくないから、みんなおいしそうに食べてくれるから元気ですよ」
こうした野菜の世話はすべて手作業で、スタッフが除草する。冷涼なエリアで虫の被害は少ないものの、それでもアブラムシなどの害虫には牛乳や片栗粉などを水で薄めたものを噴霧して退治したり、テントウムシなどの益虫が暮らす環境を整えて害虫を捕食してもらったり。
畑のうち、人が食べる野菜を栽培するのは6割ほど。残りの4割はニワトリのエサとなるデントコーンの栽培に充てられる。
それで収穫された年間約16トンが、平飼いするニワトリ約800羽のエサになる。そうやって産み落とされた卵は2011年、325項目の残留農薬検査で「残留農薬ゼロ」が証明された。世界初だ。
磨き上げた農薬・化学肥料フリーの農業はさらに広がり、19年には稲作も始まっている。柏崎さんが「味が濃い」と太鼓判を押す食材は残念ながら市場には卸さず、系列のホテルやカフェに届ける。実は、うまい立ち食いそばとして人気の「よもだそば」は、東北牧場の系列のひとつで、店のメニューに並ぶ野菜の天ぷらは農薬も化学肥料もない、この牧場で育てられたものだ。記者も時々、食べるが、話を聞いてあのおいしさの秘密がよく分かった。
柏崎さんは「昔なら普通の農業です」と謙遜するが、これこそ自然とともに暮らすあるべき姿だろう。あぁ、そんな豊かな自然の中で野草を食むベルシャザールが心底、うらやましいゾ。