トレセン記者 記憶の名馬たち

【記憶の名馬たち】調教パートナーが語ってくれた凱旋門賞②着の裏側 エルコンドルパサー

公開日:2019年7月18日 17:00 更新日:2019年8月29日 15:13

 東西トレセンを駆け回るゲンダイの現場記者たちは、それぞれ担当厩舎を抱えている。長年、取材を続ける中、記録だけでなく記憶に残る名馬との出会いも。厩舎関係者とともに、その懐かしい足跡をたどってみる。第4回は美浦・新居記者。歴史的名馬にこんな裏話が――。

 レジェンド級の名馬に携わったホースマンから話を聞けるのも、競馬記者の醍醐味のひとつ。

「実は出走を回避してもいいほどの状態でした」

 あの日本中を熱狂させた20年前、エルコンドルパサーが挑んだ凱旋門賞。半年の遠征に同行して、一度も帰らなかった佐々木助手から聞かされた真実だ。

 勝ったサンクルー大賞で外傷を負い、2カ月ぶりだった前哨戦・フォワ賞の時点でも腰やトモの状態は決して良くなかった。それから中2週の本番も「悪くはなってないものの、良くもありませんでした」と振り返る。

 国内ではNHKマイルCとジャパンCのGⅠ2勝を含む7戦6勝。唯一の敗戦はサイレンススズカの②着だったGⅡ毎日王冠のみ。翌年に渡仏して長期の遠征で②①①着。迎えた現役最後の走りの裏には陣営の並々ならぬ苦労があった。

 それでもレース本番では楽に主導権を奪って後続13頭を従えた。

「使うごとにだんだんとスタートの反応が良くなってきました。受け入れ先のトニー(クラウド調教師)も“このスピードは短距離馬”と言っていたほどですからね」

 直線を迎え、追い出してからスッと後続を引き離し、一時は2馬身ほどリードを保った。史上初の日本馬による凱旋門賞制覇。いや、それどころか、欧州調教馬以外での初勝利、世界一が目前だったように見えた。

「むしろ逆ですね。直線の外ラチで見ていたのですが、もうボクの目の前ではモンジューにかわされていました。なので、“勝つのは厳しいな”と。ただ、もっと勝ち馬に突き放されると思っていました。それを思えば頑張りましたよね」

 結果は勝ったモンジューから半馬身差の②着。だが、現地では称賛の拍手と歓声が沸き起こった。その後はジャパンC出走を視野に入れて帰国するも、そのまま引退、種牡馬入りした。

「本当に状態が一番だったのは勝ったジャパンCでした。サンクルー大賞も良かったですよ」

 競馬に“たられば”はないとはいえ、やはり凱旋門賞の時に万全の状態だったら……。誰しもが思うところだが、それもまた競馬。残念ながら種牡馬入りしたエルコンドルパサーの残した産駒はわずか3世代だけ。

「かなわないですが、できることならば、もう一度エルコンに乗りたいですね。あの背中、あのスピードを感じたいですよ」

 その後も19頭の日本馬が凱旋門賞に挑んだが、まだ勝ち馬は出ていない。今年もまた10月の第1日曜日を目指して遠征する日本馬がいる。

(美浦・新居哲/日刊ゲンダイ)

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