東西トレセンを駆け回るゲンダイの現場記者たちは、それぞれ担当厩舎を抱えている。長年、取材を続ける中、記録だけでなく記憶に残る名馬との出会いも。厩舎関係者とともに、その懐かしい足跡をたどってみる。第3回は栗東・勝羽記者の忘れられないあの馬――。
■05~07年の函館記念で3連覇
今年も夏競馬が始まった。毎年、この時季になるとエリモハリアーを思い出す。
それは担当した谷中厩務員も同じだという。
「忘れられない馬だからね。トレセンに入って初重賞をプレゼントしてくれた馬。ホント、時計勝負はテンでダメだったけど、洋芝の北海道はよく頑張ってくれた」
担当したのはデビュー7戦目、3歳時の函館。そこから函館競馬場の改修工事で札幌開催へと変更された9歳時(09年)を除いて毎年、夏の函館通いが始まった。
そして、5歳の夏からご存じの記録がスタートする。巴賞から函館記念がルーティンだ。
「最初の年(05年)は巴賞を勝って調子もよかった。“行けるかも”で勝って、2年目は雨の稍重馬場。道悪は得意としていたから、“絶対に勝てる”と自信があったね」
ただし、3年目は屈腱炎から復帰2戦目。
「どこか心配で。そんな半信半疑でも勝ってくれた」
当時の最多タイとなる同一重賞3連覇を達成した。
北村浩、安藤勝、武幸といずれも違う鞍上で勝っているのも面白い。ただし、史上初の4連覇がかかった08年は大外枠に泣いた。0秒1差④着で記録はついえた。
「結局、10歳の引退レースも函館記念(⑬着)。おとなしくて輸送には強いし、カイ食いもいい。タフな馬だったね。初めてだよ、7年間も一緒にいた馬は」
そのハリアーは19歳目前の昨年12月、この世を去った。その8日後、谷中さんが担当するニホンピロバロンが中山大障害を制したから話は終わらない。
「それも鼻差でしょ。ハリアーが天国から“頑張れ”と後押ししてくれたかな。初GⅠまでプレゼントしてくれた気がするね」
7年間、苦楽を共にしたからこそ生まれた人馬の深い絆。それを感じずにはいられなかった。
(栗東・勝羽太郎)