そうだ京都競馬場へ行こう! 開場100年のアニバーサリー企画が目白押し
公開日:2025年1月24日 17:00 更新日:2025年1月24日 17:02
今も馬主席は厳格なドレスコードがある
1925(大正14)年12月の開業から100周年。英語で100年祭を意味するセンテニアル(centennial)を冠した「センテニアル・パーク京都競馬場」。総工費880億円を投じた大規模リニューアル工事が2年前に完了し、アニバーサリー年の今年はさまざまな企画が予定されている。歴代名馬の死闘を交えながら、その歴史を振り返ってみよう。
京都競馬場は京丹波町から1925年に現在の京都市伏見区の地に移転開場した。
アクセスが良くなった分、宇治川と桂川に挟まれた葭島新田の沼地の軟弱地盤の上に造ったことから馬場状態が悪く、畳床を敷き詰めて改良したという逸話がある。現在も地下水との闘いは続いており、大規模リニューアルに際して地盤に固化剤の薬液を注入し、機械を100台ほど稼働し地盤改良の施工を行った。
馬場中央には湿地帯の面影を残す巨大な池がある世界でも珍しい競馬場だ。
京都競馬場に何度も通ったという芸能リポーターの石川敏男氏がこう振り返る。
「大阪で番組を持っていた頃、改修前の京都競馬場によく通っていました。知り合いの馬主席で観戦していましたが、ドレスコードが厳しかったことを思い出します。ジャケット、ネクタイ着用はもちろんで、夏場のポロシャツも許してくれなかった。ある日、一緒に行った番組関係者がネクタイをしておらず、僕がネクタイを貸して入場しようとしたら、『シャツが違う』と呼び止められた。慌てて淀駅の近くの店にワイシャツを買いに行った記憶があります。東京や阪神競馬場ではそんなことはありませんでしたね」
名物の「淀の坂」は秀吉の遺構
開場した10年後の1935(昭和10)年、馬場拡張工事で第3コーナーの斜坂走路が誕生した。京都名物の「淀の坂」と呼ばれ、高低差は4・3メートル(内回りは3・1メートル)。向正面の半ばから上り、4コーナーにかけて一気に下る勝負どころとなっている。
実はこの淀の坂、近年の研究で豊臣秀吉が築かせた宇治川の堤防跡だということが分かってきた。競馬場から北に徒歩数分のところに秀吉が側室・茶々の産所として築かせた淀城があったのだ(現在の淀城跡は江戸時代につくられた別の城)。
1938(昭和13)年、「京都農林省賞典四歳呼馬競走」を開催。これが1回目の菊花賞だ。この翌年にできた「横濱農林省賞典四歳呼馬競走」(現・皐月賞)と東京優駿(日本ダービー)を合わせて日本のクラシック3冠と呼ばれる。当時の世相を反映して日本陸軍がサラブレッドの生産を奨励していた経緯がある。
1964(昭和39)年には、シンザンが戦中に活躍したセントライト以来、23年ぶりのクラシック3冠馬となる。その19年後の1983年にはミスターシービーが菊花賞に勝って3頭目の3冠馬に。その翌年は、皇帝・シンボリルドルフが史上初の無敗の3冠馬に輝いた。その後もナリタブライアン(1994年)、ディープインパクト(2005年)、オルフェーヴル(2011年)、コントレイル(2020年)が京都の地で3冠の栄誉を手にしている。
関西馬をなぎ倒した悲運の名馬ライスシャワー
前出の石川氏は「ライスシャワーの活躍も京都競馬場とは切っても切れない」と回想する。
ライスシャワーは1992年の菊花賞で2冠馬ミホノブルボンをねじ伏せ、翌春の天皇賞ではメジロマックイーンの3連覇を阻止した。
「440キロの小さな体ながら『黒い刺客』の名にふさわしい活躍でした。当時の競走馬は栗東トレーニングセンターの坂路調教で鍛えられた関西馬が強く、ミホノブルボンもメジロマックイーンも栗東でした。そこに美浦のライスシャワーが殴り込んで活躍した。ただ、そのライスシャワーもかわいそうなことになって……」
一時期の低迷を経て1995年の天皇賞(春)で復活を遂げたライスシャワー。だが、同年6月の宝塚記念で骨折し、安楽死の措置が取られた。通常、宝塚記念は阪神競馬場で開催されるが、この年は阪神・淡路大震災の影響で京都競馬場で代替開催されていた。現在、京都競馬場には「疾走の馬、青嶺の魂となり」の句が添えられた石碑が立っており、今なお献花や供え物が絶えない。
競馬場周辺は「寺田屋」など観光名所がズラリ
JRAは京都競馬場で100周年記念のさまざまなキャンペーンを企画している。2月1日は「フリーパスの日(入場料無料)&指定席100円キャンペーン」。さらに子どもたちが大喜びしそうな「雪遊び体験」(1、2日)。翌週も「巨大かるたで遊ぼう!」やサンリオのキャラクターによる「シナモロール ミニステージ」などが控えている。
JR東海の「そうだ 京都、行こう。」の観光ガイドをのぞいてみると、京都競馬場のある伏見エリアには、幕末の1862年の寺田屋事件、1866年の坂本龍馬襲撃事件の舞台となった旅館「寺田屋」があって、跡地には薩摩九烈士の碑や龍馬の像がある。残念ながら当時の建物は鳥羽・伏見の戦いで焼失しているが、跡地の隣に当時の建物を再現した「旅籠 寺田屋」がある。
また、伏見といえば、全国屈指の酒どころ。月桂冠や北川本家(富翁)、黄桜、宝酒造(松竹梅)などの名だたる酒造会社がある。寺田屋のすぐ近くの「キザクラカッパカントリー」では日本酒のほか、併設の工場でつくられる地ビールが飲める。
新春は京都競馬場へぶらり旅だ。