〝騎手〟福永祐一、涙の引退式

公開日:2023年3月4日 22:40 更新日:2023年3月10日 11:40

誘導馬に騎乗し、騎手最後の〝仕事〟へ

 ひと言で表せば、心にしみる、心に残る非常にいい引退式だった。もらい泣きした方も数多かったのではないだろうか。

 本日、阪神競馬場で福永祐一は、騎手としての最後の務めを終えた。

 まず、ターフに姿を現したのは、メインのチューリップ賞。自身がデビュー2戦で手綱を取った誘導馬ミツバの馬上だった。パドック、本馬場入場で出走各馬を誘導した。

「自分が乗っていた馬(アンリーロード、バースクライ、サーマルソアリング)の返し馬を近くで見ることができたので、なかなか得難い経験ができました」

 こう話し、同GⅡをモズメイメイで逃げ切った武豊からは「きょうのこの勝利は誘導馬がよかった(笑い)」と〝お褒めの言葉〟をもらっている。

 最終レースが終わり、舞台はパドックへ。この日の入場人員は1万8353名。多くの人がラストステージを見守った。

「あっという間ではなかったですね。いろいろとありました」

「27年、こんな親不孝はないなと思いながら続けてきた」

 27年間の騎手人生をこう振り返った。96年のデビュー2連勝、喜び、ケガ、苦悩──。ほかの思い出も噛み締めるかのように。

 その感情は、やはりというべきか、涙へと変わった。

 師匠でもあり、「小さい頃から長く騎手になってからも家族と同等、それ以上の関係性を築かせて頂いている」と福永が心を寄せる北橋修二元調教師から「今までよく努力したことが実を結んで、皆に喜ばれた。感激いたします。ご苦労でした」と花束を贈呈されて感極まった。

 そこから、涙が続いた。

「無事に終われて何よりでした」と、涙ながらに話す後輩・川田をそっと抱き、武豊から「祐一のお陰でボク自身もたくさん成長することができました。そういう意味では感謝しています。また、名馬を連れて競馬場に早く、調教師として戻ってきて活躍して下さい」と言われて、また、目から光るものが溢れた。

 最後は自身の挨拶で。46年間の人生が走馬灯のように駆け巡ったのだろう。父である福永洋一元騎手、母・裕美子さんと両親へ感謝の気持ちを伝える際には、時折、声を詰まらせた。

「福永洋一の息子として生まれてこなければ、騎手の道を選ぶこともなかったですし、豊さんの存在がなければ、また騎手の道を志すこともなかった。母親に対しては、全く競馬に興味がなかった自分が急に騎手になるということで驚かせ、本当に辛い思いをさせ続けてきたなと。27年、こんな親不孝はないなと思いながら続けてきました。ケガはありましたけど、健康な状態で引退することができ、ようやく、長きに渡った親不孝を終えることができ、ホッとしていますし、申し訳ない気持ちでもいます」

「福永洋一と北橋修二先生と二人の作品」

 福永のJRA通算は1万9497戦。96年3月2日のデビュー2連勝に始まり、キングヘイローでの重賞初勝利にプリモディーネで制した初GⅠ桜花賞。長く勝てなかった日本ダービーは3勝し、名馬コントレイルとの出会いがあって無敗の3冠ジョッキーの栄誉にも授かった。
 
 JRA2636勝、重賞勝ちは160を数える騎手人生を「福永洋一と北橋修二先生と二人の作品だと思っています」と表現した。

「たくさんの人が支えてくれたお陰で、これだけの勝利数を積み上げてくることができた。努力の天才だと言って下さる方がいますけど、努力できたのはたくさんの支えてくれた方々の思いに報いるためには自分が頑張ることしかできなかった。最後まで真面目に勤め上げることしかできませんでした」

 親、師匠、多くの関係者、そして、ファンへ感謝の気持ちを伝えた。

「デビューした時から本当に多くのファンの方に応援して頂いて、本当に幸せな騎手人生でした。自分には過ぎた騎手人生でした。これからたくさん応援していただいた方々の思いにまた応えていくためにも、競馬ファンの皆様に応援してもらえるような馬をまた競馬場に送り出して行きたいなと思います。最高の騎手人生でした」

 最後はこう締めた。集まった多くの騎手たちに胴上げされて、騎手・福永祐一に終わりを告げた。
 
 多岐にわたり深慮し、真摯に競馬と向き合う。騎手時代に1勝を求め、考え抜いた〝ヘッドワーク型〟のスタンスは、トレーナーとなっても変わることはないだろう。ファンからの万雷の拍手であふれた涙、涙の引退式。ここが舞台転換。次に目指すは名伯楽の道だ。

 調教師・福永祐一としての幕が今、開けた。

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