9冠牝馬アーモンドアイの真実

【好評連載】9冠牝馬アーモンドアイの真実〈7〉(ネットオリジナル)

公開日:2023年2月14日 14:00 更新日:2023年2月14日 15:08

 国内外でGⅠ9勝、獲得賞金19億1526万3900円はともにJRAの記録を更新。牝馬3冠を達成し、年度代表馬は2度も受賞――。

 数々の金字塔を打ち立てて20年に引退した女傑アーモンドアイ。その競走生活に密着取材を続けてきた新居記者が、当時のノートや関係者の証言とともに、輝かしい競走生活の表と裏を紐解いていく。


   ◇   ◇   ◇


 アーモンドアイは安田記念でよもやの③着に敗れ、連勝がストップ。秋の初戦は天皇賞となり、その次戦で国際GⅠ香港C(芝二千)で再び、海外遠征することとなった。

 まずは東京でGⅠ6勝目を狙う。9月26日に牧場から帰厩したが、これまでと違って、470㌔台と随分とスッキリした馬体で戻ってきた。

 鎧をまとっていた筋肉が削がれ、ブリっとして力強かったお尻もやや寂しく映る。毛ヅヤも冴えなかった。

 前走の安田記念はこの時点で最高体重の480㌔。3歳時のジャパンCが472㌔だから、多少は太かったか。

 当時、牧場関係者はこう語っている。

「レース後に熱中症を起こす特異体質です。アーモンドアイは牧場の宝でもあります。筋肉を増やすと血流量が増えて、その分、リスクが高くなってしまいます。ボリュームアップした馬体の方が競走馬としては安心ですが、彼女には次の仕事(出産)がありますからスレンダーな体つきの方がいいと判断しました」

 アーモンドアイは子孫を残し、この馬を起点として20年後、30年後まで牝系を繁栄させたい。そのためには最悪な事態は避けたい。牧場サイドがそう考えるのは自然の成り行きである。

 一方、厩舎サイドは在厩時は少しでも馬を膨らませたい、良化させたい、と考える。どちらが正しい、悪いの話ではない。ともに〝アーモンドアイのために〟と全霊を懸けて接している証しでもあった。

 それに応えるのが、千両役者だった。

「トップコンディションではありません。ようやく80%になりました」

 レース直前にルメールは何とか合格点をつけた。

 そして、結果は――。

 仕上がり途上だったと考える人間の想像を遥かに超えるハイパフォーマンスを見せる。

 コースレコードにわずか0秒1差届かなかった、1分56秒2の好時計で②着ダノンプレミアムに3馬身差を付ける圧勝だった。

「レースの上がり5F57秒2の厳しい流れを勝負どころから抜群の手応えでくるんだから、凄い馬だよな」と国枝師も驚きを隠せなかった。

 完調でなくとも、レースに行けば、強い気持ちで全能力を出し切る。それを象徴する快走であった。

新居哲

 馬とは関係のない家庭環境で育った。ただ、母親がゲンダイの愛読者で馬柱は身近な存在に。ナリタブライアンの3冠から本格的にのめり込み、学生時代は競馬場、牧場巡りをしていたら、いつしか本職となっていました。
 現場デビューは2000年。若駒の時は取材相手に「おまえが来ると負けるから帰れ!」と怒られながら、勝負の世界でもまれてきました。
 途中、半ば強制的に放牧に出され、05年プロ野球の巨人、06年サッカードイツW杯を現地で取材。07年に再入厩してきました。
 国枝、木村厩舎などを担当。気が付けば、もう中堅の域で、レースなら4角手前くらいでしょうか。その分、少しずつ人の輪も広がってきたのを実感します。
「馬を見て、関係者に聞いてレースを振り返る」をモットーに最後の直線で見せ場をつくり、いいモノをお届けできればと思います。

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