「14年は最低人気でも〝秘策〟があって、〝ひょっとして〟という気持ちはありました」
11年前の2月23日、東京競馬場ダートコースは良馬場ながら、除雪された雪がラチ沿いに残っていた。寒い日のメインを飾るGⅠフェブラリーSで最低16番人気の汚名を返上して先頭ゴールインを果たしたのが、コパノリッキーだ。これをキッカケにダート王に上り詰めると、積み重ねたGⅠ級タイトルは史上最多の11。リッキーのオーナーである「Drコパ」こと小林祥晃さんに下克上となったGⅠを中心にリッキーの思い出を聞いた。
リッキーは、ティンバーカントリーの血を引く母コパノニキータに父ゴールドアリュールを配合して、北海道日高町のヤナガワ牧場で生まれた牡馬。その名前から分かる通り、母もコパさんの馬だ。
「牧場の2代目の正克さんや3代目の正普さんとは、『ダートの千八を走れる馬をつくろうよ』と話し合っていたんです。ゴールドアリュールはダート系の種牡馬ながら、現役時代は芝でデビューしてダービーに出走したくらいだからスピードもある。それで『ニキータの子供が生まれたら教えてね』と連絡していたんですよ」
リッキーは母の3番仔で、「いい馬ですよ」との電話を受けて牧場に見に行くと、“一目惚れ”で購入を決めた。
「馬主になってから、能天気で明るい性格の牡馬には『リッキー』をつけようとかねて思っていたところ、目の前で見た当歳がまさにリッキーの雰囲気を醸し出して、ぴょんぴょん跳ねていたんですよ。そんな性格だからとりあえず成長を見守っていると、育成牧場に送り出したら、騎乗スタッフが『モノが違う』と口をそろえていたので、驚きました」
マツクニやルメールが本格化前に絶賛
デビュー戦は直線で前が詰まって⑧着に沈んだが、2戦目の未勝利は2番手から抜け出す横綱相撲で楽勝すると、続く東京での500万下もブッコ抜く。その2戦で周りの関係者は、この馬の実力を見抜いていた。
「未勝利のときのパドックでマツクニさん(松田国英調教師)と隣り合ったら、『コパさんの馬、すごいよ』と興奮して褒めていただいたら、あの勝ちっぷり。東京競馬場の検量室前に戻ってきたルメール騎手もえらく上機嫌でね、『ネクスト・カネヒキリ』と大絶賛したんですよ。名馬を知り尽くす2人の言葉でしょう。それはもううれしかったですよ」
ヒヤシンスSは③着と取りこぼすも、改めて周囲の空気を変えたのが5戦目の伏竜Sだった。その後のダート路線を占う登竜門だ。
「首差とはいえ、OPクラスを勝ってくれたので重賞が視野に入りましたよね。で、その日の夕方に知り合いの記者3、4人から電話があったんです。1カ月前に同じ世代のコパノリチャードがアーリントンCを勝っていたから、リチャードのことを聞かれるのかと思って電話に出ると、みんな聞いてきたのはリッキーの次走。そのときはまだ決まっていなかったけど、村山明調教師と相談して、そんなに周りが注目するなら『園田に行こう』と兵庫CSに向かったんです。そこも楽な逃げ切り勝ちで、福永騎手は『1角を回った時点で勝利を確信した』と言っていたほどでしたから。『ヨシ! 東京ダービーだ』と盛り上がったら、右前を骨折ですよ。あれは、悔しかった。力がついてきて、狙えるGⅠ級でしたから」
幸い、骨折の程度は軽く、半年ほどで復帰したが、春の力強い走りは影を潜め、OP特別で見せ場なく2連敗。
ルメールをして「ネクスト・カネヒキリ」と言わしめた能力の高さは、ファンからすっかり忘れ去られてしまった。
そんな状況で陣営が4歳初戦の目標に掲げたのが、2014年のGⅠフェブラリーSだった。大一番に向けて、コパさんはリッキーに“能天気作戦”を施した。
「年明けに栗東を訪ねて様子を見に行くと、明るさが取りえの馬なのに、表情が暗く、馬房の奥にこもって冴えませんでした。3歳春に調子がよかったころは、ノリノリだったのに。それで、明るさを取り戻してほしくて、村山調教師にリッキーの馬房の前でミッキーマウスの明るい曲をかけるように提案したんです。普通の調教師なら怒られるかもしれませんが、村山調教師も明るいタイプで“良い加減”だからよかった。おかげで本番前に見に行くと、こちらに来て首を振ったりして、よかったころのリッキーに戻っていたんです」
負けたレースは馬混みでかぶる砂を嫌がった
かくして迎えた本番はケイアイレオーネとの抽選対象だったが、“能天気作戦”が運を呼び寄せたのか2分の1の抽選を突破。見事、ゲートインにこぎつけたが、ファンは厳しい。オッズは最低16番人気だった。「パドックで単勝オッズをチラッと見るたびに数字が増えていくんです」と苦笑いするが、“秘策”もあったそうだ。
「初戦の⑧着も骨折明けの2連敗も、馬混みに入ったことが敗因だと分析していました。ダート馬だけど、砂をかぶるとダメなタイプ。その性格を踏まえて、村山調教師や田辺騎手と考えて編み出した秘策が、人気のホッコータルマエを外から見る形で好位5、6番手を進む作戦でした。ちょうどリッキーは7枠13番、タルマエは8枠15番と、作戦を実行しやすい枠の並びでしたから。作戦を知っていたのは、調教師と騎手と僕の3人だけ。それがかなえば、“ひょっとして”という気持ちはあったんです」
ところがゲートが開くと、スタート直後の芝でスムーズに2番手をキープしたのがリッキーで、タルマエはその後ろの5番手だった。思い描いた作戦とは逆の番手だ。
「あの日、僕は東京競馬場の馬主の役員室にいまして、直線は熱くなりました。机をバンバン叩いて、『リッキー、そのまま』と叫び続けました。16番人気の激走でしたから、周りはシーンとしていたので、興奮していたのは僕だけ。隣にいたヤナガワさんも、ワケが分からない様子でした。ゴールしたら、馬主仲間がこぞって入ってきて祝福の嵐。うれしかった」
砂の王者への階段を上るキッカケとなる快走だった。それから史上初のGⅠ級タイトル11を記録し、種牡馬となったが、ポカがあるタイプでもあった。
「砂をかぶるとダメなんです。負けたのはほとんどそういう競馬。でも、17年に引退レースの東京大賞典を勝ち、地方競馬の特別賞を頂きました。GⅠは勝つのも大変で、勝っても種牡馬になれるわけじゃないから、本当にリッキーさまさまですよ。だから、いまも北海道に出かけると、リッキーに会いにいきます。いまも元気ですよ。産駒がもっと活躍してくれるとうれしいけど、あの性格だから、低迷したころに大物を出すんじゃないかな。そう思っています。種付けは上手らしいからね」
週末の東京競馬場は晴れ予報でも寒波襲来。今年のフェブラリーSも波乱となるのだろうか。