【宝塚記念】タイトルホルダー 22年レコードVと凱旋門賞参戦の舞台裏

公開日:2024年6月21日 17:00 更新日:2024年6月23日 10:42

〝誤算〟の弥生賞勝利で想定外の3歳王道へ

 今週の中央競馬GⅠは上半期を締めくくる宝塚記念で、2年前のこのレースを制したのがタイトルホルダーだ。勝ち時計2分9秒7はコースレコード。菊花賞、天皇賞・春に続く3つ目のGⅠタイトルを獲得したことから、その年の秋は凱旋門賞に参戦した。世界の頂点を目指す決断の裏には、紆余曲折があった。生産した岡田スタッド代表の岡田牧雄氏に聞いた。

 2018年2月10日に岡田スタッドで生まれた牡馬のタイトルホルダーは、母メーヴェとの離乳を終えて育成が行われると、デビュー前から異彩を放っていた。

「中期育成で夜間放牧に出すと、まったくへこたれずにヘッチャラという感じでした。並の馬だと数日でどこか痛いところが出てくるけど、そんなことはなく平然としていたから走るだろうなという手ごたえがあった。それが確信に変わったのが本格的なトレーニングを行うようになってからです。2歳春になってウチの坂路を2本追ってもケロッとしていて、まったく息が上がらない。心肺機能がズバぬけていました。こんな馬は初めてでしたが、母メーヴェから長距離適性を受け継いだのでしょう。2歳3月の時点でスタッフとは、『菊花賞と翌年の天皇賞・春を絶対に取る』と誓い合っていたんです」

 母メーヴェは、4連勝で英ダービーを制したモティヴェイターを父に持つ英産馬だ。半姉メロディーレーン(父オルフェーヴル)は1勝クラスを勝ち上がると、菊花賞に挑戦して⑤着に善戦。ステイヤーぶりを見せつけた。2番仔のこの馬はドゥラメンテとの配合だけに、陣営に伝統の長距離GⅠを強く意識させる。20年10月、中山で芝千八のデビュー戦を快勝すると、GⅢ東スポ杯2歳Sで②着と賞金加算に成功し、GⅠホープフルSも④着。クラシックに望みをつなぐ結果を残す。よもやの“誤算”が3歳春初戦の弥生賞だったという。


「馬主の権利を半分ずつ持つ山田(弘)さんと描いたプランは、『3歳春までは無理せずに菊花賞を目指そう』というもので、当初は皐月賞もダービーもパスする予定だったんです。でも、弥生賞を勝ってしまったら、皐月賞に向かわないわけにはいかないでしょう。続く皐月賞も②着。そうすると、やっぱりダービーへということになる。あの弥生賞が④⑤着だったら、馬に無理させることなく、菊花賞に向かえたと思うんです」

 クラシック2戦の後は北海道に戻って充電。牧場に戻った当初は、激戦の疲れが見えたという。

「ウチは、育成期だけでなく、現役の馬も夏に牧場に帰ってくると、夜間放牧を行います。ダービー後のタイトルホルダーはこちらでも当初はテンションが高く、1週間たっても気持ちが変わりませんでした。それで夜間放牧をやめようか悩んだ結果、とりあえず1週間継続。するとテンションが落ち着き、体が増えてきました。結局、3週間続けたところ、見違えるほど状態が良くなったんです。この馬の成長期でした。そこからトレッドミルに入れて、菊花賞に向けて鍛え直すと、2歳3月の時点で思い描いたように、馬体が充実してきたんです」

 セントライト記念は展開も進路も厳しくなり、⑬着と惨敗。それでも狙った本番の菊花賞は、自信があったという。

「敗戦のダメージは癒えていたし、何より夏の成長です。素晴らしかった心肺機能はさらに高まっていましたから、騎手には『折り合いだけ気をつければいい。自信を持って乗ってくれ』と話しましたから。実際、スタートからそのまま逃げ切りですから強いレースでしたよね」

 ファン投票3位の後押しもあって出走した有馬記念は⑤着。3歳最終戦を終え、4歳は2つ目の目標である天皇賞・春に向けて歩み出す。前哨戦の日経賞をロスの少ない競馬で勝ち切ると、迎えた本番は②着ディープボンドに7馬身差をつける楽勝で菊花賞馬の貫禄を示した。

 セイウンスカイ以来23年ぶりとなる菊花賞の逃げ切りVも春天も、舞台はどちらも直線で2度の坂越えがある阪神だ。心肺機能とステイヤー性能の高さは陣営の見立て通りで、岡田氏の相馬眼の鋭さを示している。

「エフフォーリアには勝てない」と思った

 青写真通りにつかみ取った2つのタイトル。しかし、日本の競馬は中距離が主流だ。ステイヤーの血は、それほど強く求められない。そこで、岡田氏らは中距離GⅠのタイトル獲得を次のターゲットに据えた。当初は、国内に徹するプランだったという。

「当初、天皇賞・春を勝ってからはもう一度、北海道に帰って夜間放牧で成長を促し、秋に古馬の中距離GⅠを3戦するつもりでした。この馬は4歳より5歳の方がより強くなると思っていましたから。その一方で事前登録していた凱旋門賞に参戦するプランもありました。そんな中、私が秋の国内路線を重視したのは馬の成長曲線もありましたが、エフフォーリアの存在も大きかった。あの当時の中距離路線は、間違いなくエフフォーリアが主役で、すでに宝塚記念参戦を表明していたエフフォーリアには勝てないと思っていたのです」

 タイトルホルダーにとってエフフォーリアは、同期のライバル。その相手は皐月賞馬で、秋は古馬路線にぶつけ、天皇賞・秋で3冠馬コントレイルを撃破すると、返す刀で有馬記念も制覇し、中距離路線の頂点に立っていた。4歳初戦の大阪杯は落としたが、宝塚記念は巻き返し必至。岡田氏はライバルとの再戦を避けるつもりだったが、そこでもまた誤算があったという。

「凱旋門賞に参戦するにあたって管理する栗田調教師からひとつの提案がありました。『もし宝塚記念でエフフォーリアを破ったら、凱旋門賞に挑戦してもいいですか』と。それに『分かった』と答えると、その宝塚記念は番手から抜け出す鮮やかなレコード勝ちでしたから、凱旋門賞参戦が決まったのです」

 名馬の裏にドラマありとは、まさにこの馬のことだろう。話し合いの流れによっては、歴史的なレコード勝ちとなった2年前の宝塚記念も、そこから連なる凱旋門賞参戦も、ひょっとするといずれもなかったかもしれないのだ。

引退論をはねのけ、JCと有馬記念で花道を

 岡田氏はかねて凱旋門賞の馬場は日本の馬に向いていないと語っているが、その懸念に追い打ちをかけるように凱旋門賞の直前は大雨に見舞われた。スピードタイプの日本馬には、より不向きの馬場となる。

「いま振り返っても、あの凱旋門賞参戦は、この馬にかわいそうなことをしたと思います。ダメージが強かった。帰国してみんながうまくケアしながら頑張ってきたけど、連覇を目指した天皇賞・春では競走中止を余儀なくされてしまった。馬の疲労はピークでした。すぐにでも福島のノルマンディーファームに戻したかったけど、馬運車に載せることもできませんでした。何とか馬運車に載せられるくらいに回復したのは1週間後です」

 あのタイミングでの引退の可能性もあった。そうしなかったのは岡田氏本人の思いだった。

「周りの人には引退を勧められましたが、今度はオレが『この馬の実力はこんなもんじゃない』と思って、花道を飾らせてあげたかったし、何とかJCと有馬記念を取りたかった」

 引退レースとなった昨年の有馬記念は逃げて③着。全盛期を彷彿とさせる粘り腰だった。最後に岡田氏が言う。

「この馬の心肺機能はケタ外れだけど、本質的な体質は強くはない。性格的には繊細で一生懸命だから、大レースの後に疲れが出ることがあるんです。でも、ドゥラメンテが亡くなったいま、この血は貴重。種牡馬として心肺機能の強さを伝えてほしいですね」

 また新たなドラマが始まる。

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