【日本ダービー】「テン乗りは勝てない」ジンクスを覆したタスティエーラとレーン
公開日:2023年5月29日 14:00 更新日:2023年5月29日 14:00
前走の借りを返し、父のリベンジも
長らく続いたジンクスが69年ぶりに破られた。
「テン乗りは勝てない」
1954年ゴールデンウエーブを最後に出ていなかった初コンビでのダービー勝利。これをタスティエーラのレーンが見事にやってのけた。
苦い記憶もあった。同じキャロットファームの勝負服だったサートゥルナーリアで臨んだ19年。皐月賞を勝ったルメールが騎乗停止で代打に指名されたが、1番人気で④着に敗れた。
あれから4年。リスグラシューやセリフォスとのコンビでGⅠタイトルを積み重ね、スケールアップして挑んだ4度目の大舞台だった。
中間は3週連続で追い切りに騎乗してコンタクトを図り、テン乗りとはいえ癖はきっちり把握していた。
レースは4番手できっちり折り合い、直線はゴーサインを出すのを待つ冷静さも。ラスト2Fで一気に追い出して抜け出すと、ソールオリエンスの追撃を首差しのいだところがゴール。見事、ジンクスを破るとともに4年前の雪辱を果たした。
この勝利は同時に多くの“借り”を返すものでもあった。
タスティエーラにとっては②着に敗れた皐月賞のリベンジ。レーンと身元引受調教師である堀師とのコンビでは、コントレイルの②着に敗れた20年サリオスの悔しさも払拭できたか。
さらに、タスティエーラの父サトノクラウンは15年のダービーで③着。初年度産駒から父の無念を晴らす孝行息子となったのだ。
しかも「左前を落鉄してました」と堀師。そんな状況できっちり勝ち切ったし、もともと「晩成型」とも口にしていた。ここが終着点ではない。今後が大いに楽しみなダービー制覇となった。
なお、2番人気に推されたスキルヴィングは⑰着での入線後に倒れ、急性心不全で命を落としたことがJRAから発表された。