トレセン記者 記憶の名馬たち

【記憶の名馬たち】並外れたエンジンを搭載した〝最凶〟の芦毛馬シンボリグラン

公開日:2019年9月26日 17:00 更新日:2019年9月26日 17:00

 東西トレセンを駆け回るゲンダイの現場記者たちは、それぞれ担当厩舎を抱えている。長年、取材を続ける中、記録だけでなく記憶に残る名馬との出会いも。厩舎関係者とともに、その懐かしい足跡をたどってきたこの連載。最終回は美浦・木津記者の忘れられないあの馬――。

 芦毛には気性の勝ったタイプが多いと言われている。

 昔はオグリキャップ、最近だとゴールドシップが代表格か。

 だが、担当の畠山厩舎にも彼らに匹敵、もしくはそれ以上を思わせるような気性の荒さを身近に感じさせてくれる馬がいた。

 04年にデビューしたシンボリグランだ。

 初対面は衝撃的。

「凄い馬がきたぞ」

 担当の増田厩務員が話してくれたので、馬房にのぞきに行くと、耳を絞っていきなり突進してきたのだ。

 さすがにひるんで後ずさりすると、増田さんは「いつもはこんなもんじゃねえぞ」と苦笑い。

 確かにたたく、蹴る、噛みつくの3拍子揃って増田さんは生傷が絶えない毎日だった。

 だが、“凄い”のは気性だけではない。デビュー時から510キロを超える馬体から繰り出すパワーも半端ではなかった。

 前脚の装蹄をするためにまたがっている装蹄師を脚力で持ち上げてみたりと怪力ぶりを発揮していたが、調教での動きも並の馬ではなかった。

 主に追い切りは坂路で、4F50秒を切るのは当たり前。

 08年1月24日には4F47秒3―12秒5の驚速タイムを馬なりでマーク。しかも、あがってきたときにも息を乱さず「フゥとも言っていなかった」とのことだから、その搭載エンジンの排気量は推して知るべしだ。

 そのエンジンが常にフル回転できればGⅠも楽に手が届いていたはずなのに、重賞勝利は3歳時のGⅡCBC賞のみ。ちなみに、そのCBC賞は前週の開催を予定したが、降雪による中止でスライドしたもの。2週連続で中京に輸送して勝ち切るのだから、強靱な精神力を持っていたのは間違いない。

 だが、年を取るごとにそのメンタルが別の方向へ行ってしまったのだ。

「我が強過ぎたな。レース中も気に食わないことがあると他馬に噛みつきにいったりしてた」

 晩年はいくらかおとなしくなってきた感じもしたものの、馬房に行けば必ず目を見開いて威嚇してきた。今まで取材した馬の中では、間違いなく“最凶”の芦毛馬だった。 (美浦・木津信之)

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