トレセン記者 記憶の名馬たち

【記憶の名馬たち】大激戦の00年ダービー馬 アグネスフライト

公開日:2019年8月15日 17:00 更新日:2019年8月29日 15:11

 東西トレセンを駆け回るゲンダイの現場記者たちは、それぞれ担当厩舎を抱えている。長年、取材を続ける中、記録だけでなく記憶に残る名馬との出会いも。厩舎関係者とともに、その懐かしい足跡をたどってみる。第8回は栗東・弘中記者の忘れられないあの馬――。

「今年も行ってくるわ」

 笑顔で北海道シリーズへ出発した大川厩務員。17年に定年解散した長浜博之厩舎で数々のタイトルホースを担当し、定年後はその腕と経験を買われてさまざまな厩舎でヘルパーとして活躍中だ。

 その大川さんと密着して話ができるようになったのはアグネスフライトの頃だったか。00年2月の新馬戦①着は京都マイル。1分37秒1で上がり3F35秒9。今の高速ターフを思えば地味だが、4角8番手から差してなお②着以下をみるみると突き放した走りは衝撃的だった。

 その後は若葉S⑫着を挟んで、若草S→GⅡ京都新聞杯を2連勝。勇躍ダービーへ駒を進めた。

 迎えた本番は名勝負に挙げられるレース。1番人気エアシャカールと馬体をぶつけあいながら壮絶なたたき合い。ダービー3連覇がかかった弟弟子の武豊を兄弟子・河内が鼻差ねじ伏せたところがゴール。7センチ差のダービー初制覇だった。

「そりゃオレもうれしかったさ。で、勝ってしばらくしたらジョッキーが厩舎に来て、パッと手を広げるんだ。“まだ手が震えてる”って。初めてのダービー勝ちだったし、限界まで力を振り絞ってくれたんだと思うわ」

腕利きが手掛けてきた血の系譜

 その年の12月には全弟アグネスタキオンがデビュー。4戦4勝で皐月賞を制したが、脚部不安で早期引退して兄弟対決は実現しなかった。

「フライトもタキオンもそうだけど、あの一族は性格がいい。真面目で、走るのも一生懸命だったから。いい馬たちをやらせてもらえたよ」

“あの一族”である。フライト、タキオンの母アグネスフローラ(90年桜花賞)、その母アグネスレディー(79年オークス)も大川さんが担当していた。

「そういえばサクラの仔が重賞を勝ってたな」

 6月のラジオNIKKEI賞を勝ったブレイキングドーン。その母アグネスサクラも母系をたどればレディーへ。昭和→平成→令和とつながったアグネスの系譜は大川さんの歴史でもある。

 この夏も、北海道から「いい馬だぞ」が聞こえてこないかとわくわくしてしまう。
 (栗東・弘中勝)

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