トレセン記者 記憶の名馬たち

【記憶の名馬たち】歴史的名馬に真っ向好勝負を挑んだ マイネルレコルトの雑草魂

公開日:2019年8月8日 17:00 更新日:2019年8月29日 15:12

 東西トレセンを駆け回るゲンダイの現場記者たちは、それぞれ担当厩舎を抱えている。長年、取材を続ける中、記録だけでなく記憶に残る名馬との出会いも。厩舎関係者とともに、その懐かしい足跡をたどってみる。第7回は美浦・木津記者の忘れられないあの馬――。

 ◇  ◇  ◇

 日本競馬史上、最強の馬というとさまざまな意見があると思うが、先日亡くなったディープインパクトは間違いなく上位にくるだろう。

 その歴史的名馬に真っ向勝負を挑んだのが、マイネルレコルトだった。

 入厩してきた時の印象を「この馬かあ……とあまりテンションは上がりませんでしたね」と担当の東調教助手は苦笑いして振り返る。

 それもそのはず、血統は父がチーフベアハートで、母の父はタイテエムと地味。しかも、お世辞にも見栄えする馬体とは言えなかったからだ。

 だが、ケイコを始めたら評価は一変する。新馬戦直前のウッドコースでの追い切りは5F65秒4―37秒8、1F12秒4と2歳馬としては破格のタイムをマーク。

「普段の運動から引っ掛けられたほど。これじゃダメだと自分の筋肉をつけるためにジムに通い始めました」

 その調教の動きにたがうことなく、福島芝千二百メートルのデビュー戦は1分8秒8というレコードタイムで圧勝した。

 新潟でダリア賞、新潟2歳Sと連勝。京王杯2歳Sは出遅れが響き、⑤着で連勝はストップしたが、当時、中山のマイル戦で施行されていた暮れの2歳王者決定戦の朝日杯FSを1分33秒4の2歳コースレコードで快勝、04年のJRA賞最優秀2歳牡馬のタイトルを獲得。3歳クラシック戦線の有力馬として名乗りをあげた。

 翌年の始動戦は弥生賞。そこで立ちはだかったのがディープインパクトだった。

 2番手から早めに抜け出してディープの末脚を封じ込めようとしたが、③着まで。続く皐月賞もロングスパートで勝負をかけたが④着と負かすことはできなかった。

「普通のレベルの年ならもっとGⅠを勝てたはず。生まれた時代が悪かった。相手は歴史的名馬だったもんなあ」

 古馬になってからは勝利に恵まれることなく、5歳時に左前浅屈腱炎を発症して引退した。

「実は2歳の頃からモヤモヤしてたんですよ。最後まで本当に頑張ってくれましたよ。自分にも厩舎にも初めてのGⅠを勝たせてくれましたしね」

 人も馬も見た目じゃない。痛みを隠しながらスーパーエリートに挑む雑草魂の格好良さを教えてくれた馬だった。

(美浦・木津信之)

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