東西トレセンを駆け回るゲンダイの現場記者たちは、それぞれ担当厩舎を抱えている。長年、取材を続ける中、記録だけでなく記憶に残る名馬との出会いも。厩舎関係者とともに、その懐かしい足跡をたどってみる。第6回は美浦・飯島記者の忘れられないあの馬――。
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「若いうちに“走る馬とはこういうものなんだな”って知ることができた。大きな財産だよ」
未勝利から4連勝で06年の桜花賞に駒を進めたダイワパッションを菅野厩務員が懐かしそうに振り返った。
「(JRA)ブリーズアップセールの出身でね。完成度は高かったけど、同時にテンションも高くて。新馬戦は1番人気に支持してもらったのに、落ち着きがなくてレース前に体力を使い果たしちゃったよ」
即戦力として夏の新潟でデビュー。増沢由貴子(現調教助手)の手綱でハナを切ったが、直線で失速して⑨着に敗れた。2戦目は新潟でダートを使って⑦着。その後、放牧を挟んで変化が。
「ガス抜きができたね。あとは気性を考えて、ソフトに仕上げることを心掛けた。そこからかな、軌道に乗ったのは」
4戦目で待望の初勝利を挙げると、黒松賞も逃げ切り。さらに、GⅢフェアリーSでタイトルを手に入れる。
「長谷川(現調教師)はフワッと乗ってくれて、ピッタリだったと思う。重賞の時は連闘した影響か、いつもの行きっぷりじゃなかったね。ただ、控える形でも結果を出せたし、クラシックが視野に入ったよ」
休養を経て、3歳初戦のGⅡフィリーズレビューも快勝した。
「ゲートまでついて行った甲斐があり、外枠から一番いいスタートを切ってくれたんだ。行く馬を行かせて4番手。正攻法で危なげなかった。ま、ここからがねぇ……」
結局、桜花賞は⑯着に沈み、以後も復活することなく引退へ。
「3歳夏に函館スプリントSを熱発で取り消し。これがきっかけで完全に崩れちゃった。ゴトゴトしたり、馬場入りをゴネたり……。悪循環だよ。あの頃の自分じゃ、なす術がなかった。だから、この経験を無駄にはしないように……」
現在、菅野さんは高木厩舎に籍を置き、マイネルフロスト(毎日杯)やホワイトフーガ(JBCレディスクラシック連覇など交流重賞7勝)を担当した。ダイワパッションで得たノウハウを存分に発揮している。
(美浦・飯島理智)