平成競馬の裏と表

【平成15年・16年】<2>競馬の本質とは違うハルウララ大フィーバーが高知競馬を救った

公開日:2019年4月4日 17:00 更新日:2019年4月4日 17:00

 武豊とハルウララのコンビは自身の「チャンスがあれば一度乗ってみたい」という言葉がきっかけだった。

 高知も例にもれず、財務状況の悪化から廃止の危機に直面していた。しかし、15年の夏に毎日新聞がこの馬の連敗記録を取り上げ、その記事をフジテレビが扱ったことにより、高知競馬とハルウララの名前は一気に知れ渡ることになった。いつの間にか、単勝馬券は「当たらない」ことから交通安全のお守りに。

 12月14日に100連敗となったレース当日は4年ぶりに観客が5000人を突破し、5074人が来場。ハルウララの単勝馬券の売り上げは300万円を超え、1つのレースにおける単勝馬券としては高知史上最高額となる記録をつくった。

 だが、強い馬が勝つという競馬の本質とは全く逆の大フィーバーに最も戸惑っていたのが、宗石調教師、厩務員、生産牧場、そして武豊だ。

 中でも武豊は自身のホームページに「あまりにも異常な騒がれ方で、正直なところ辟易としています」とし、さらに「生涯で一度も勝ったことがない馬がGⅠレースを勝った馬達よりも注目を集める対象になるというのはどうにも理解し難いものがあります」(原文まま)とつづっている。

 結果は11頭立ての⑩着。連敗記録を106に伸ばしただけとなったが、振り返ってみると、ハルウララは高知競馬の存続に大きく貢献した。

 1日の馬券の総売り上げは8億6904万円、ハルウララの出走レースは全国の地方競馬場で発売されて5億1163万円と、いずれも高知の最高記録を更新。重賞の黒船賞の2倍以上も売れたのだから驚く。

 これが効果を奏し、15年度の収支は12年ぶりの黒字になり、廃止のピンチを免れた。

 21年から「夜さ恋(よさこい)ナイター」がスタート。近年ではJRAの「IPAT」などによる購入の増加で、賞金の大幅増加ができるほど売り上げは快調だ。今年の黒船賞当日は1日で10億円を超え、初めてハルウララの日を上回った。

 1頭の弱いサラブレッドをきっかけに、ひとつの競馬場が立ち直ったのだから何が幸いするか分からない。
  (水、木曜掲載)

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