平成競馬の裏と表

【平成15・16年】<1>地方競馬の岐路に現れた強いヒーローと弱いヒロイン

公開日:2019年4月3日 17:00 更新日:2019年4月3日 17:00

 15年の春は牡馬、牝馬ともに2冠馬が誕生。

 牡馬はネオユニヴァースだ。M・デムーロを背に皐月賞、ダービーを制覇。牝馬は幸のスティルインラブで、こちらは秋に秋華賞も勝ち、昭和61年のメジロラモーヌ(当時、3冠目はエリザベス女王杯)以来となる牝馬3冠を成し遂げた。

 また、すでに触れた通り、3月にはアンカツこと安藤勝己が笠松からJRAに移籍した。30日の高松宮記念ではビリーヴに騎乗し、アッという間に初GⅠタイトルを手にしている。

 だが、時を同じくして、各地の地方競馬は岐路に立たされていた。

 3月3日、栃木県の足利が廃止に。11月11日には山形県の上山も続いた。さらに、16年になると、9月に高崎の廃止が発表され、10月には宇都宮も。北関東の競馬場がバタバタとなくなることが決まった。

 中でも高崎は16年の大晦日が最終日と決まり、12競走を施行する予定だったが、積雪の影響で8R終了後に重賞の高崎大賞典を含む残りを中止に。代替開催も行われないまま、ピリオドを打つ。

 そんな過酷な状況の中、15年から16年にかけて2頭の地方馬が大きな注目を集めた。

 まず1頭目はコスモバルク。北海道でデビューし、4戦2勝②着2回の成績で中央に挑戦。秋の東京で五百万特別の百日草特別を勝ち、続くラジオたんぱ杯2歳S、3歳初戦の弥生賞をブッコ抜いた。皐月賞では1番人気になったほど(②着)。

 8歳まで走り続けたバルクはJRAで計35回。18年にはシンガポールでGⅠ勝ちを収め、地方と中央の枠を超えた存在だった。

 もっとも、ある意味、それ以上に注目されたのが高知のハルウララか。負け続けることにより、15年の夏ごろからメディアで取り上げられ、16年3月には黒船賞のため遠征していた武豊とのコンビが実現。空前絶後の大フィーバーとなった。この続きはあす木曜発行で。

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