この年のキーワードは「外国」。まずはダービーと菊花賞で2頭ずつ外国産馬が出走可能となった。
ダービーにはNHKマイルC馬クロフネ、青葉賞馬ルゼルが出走。注目を集めたものの、それぞれ2、4番人気で⑤、⑭着に終わっている。菊花賞には神戸新聞杯勝ちのエアエミネムが3番人気で臨んで③着。
3年後には5大クラシック全競走に出走枠が設けられたものの、勝ったのは19年オークスのローブデコルテのみ。これに秋華賞を加えても14年のファインモーションしかいない。サンデーサイレンスの血が日本を席巻し、“開放”の流れが脅威ではなくなったのだ。
ジョッキーではアメリカのケント・デザーモが4~6月というオンシーズンに短期免許で来日した。レディパステルによるオークスは外国人騎手による初のクラシック制覇だった。
また、武豊が前年のアメリカに続き、この年は3月下旬からフランス遠征を敢行。名門ジョン・ハモンド厩舎の主戦騎手として招かれ、活動の拠点を移した。クロフネのNHKマイルC、ダービーなどピンポイントでの帰国はあったが、ほぼ7カ月にわたった。
フランスでGⅠ1つを含む重賞3勝、イギリスでも1勝。他にも海外で2勝と年間6勝。もちろん、これは自身最多の数字である。
武豊に2つのタイトルを加えたのは日本馬ステイゴールド。3月にドバイシーマクラシック(当時はGⅡ)、そして12月のGⅠ香港ヴァーズだ。
当日の香港はまさに“ジャパンデー”。続く香港マイルはエイシンプレストン、香港CはアグネスデジタルとGⅠ3競走で完全制覇(スプリントは当時GⅡ)を成し遂げた。
また、今では話題にすらならない「ジャパンCの日本馬による掲示板独占」もこの年が最初。翌年、中山で行われたジャパンCはイタリアのファルブラヴが優勝するが、外国馬の勝利は17年アルカセットが最後。今では招待馬の数合わせもままならず、日本馬最強決定戦になっている。