平成競馬の裏と表

【平成12年】ペリエがウイングアローで初めてGⅠ勝ち

公開日:2019年3月20日 17:00 更新日:2019年3月20日 17:00

 平成12年というより、西暦2000年といった方が通りがいいこの年。東のオープニングレースは中舘(現調教師)が得意の2番手から早め先頭でゴールした。では、西はというと、勝ったのは20歳の若手ジョッキー。今では日本の競馬に欠かせない存在となったミルコ・デムーロである。

 昨年の暮れから正月にかけて日本に初参戦していた“若き天才”の呼び声高いマーフィーでも23歳。デムーロは早くから海外に飛び出し、腰を据えて騎乗。ちなみに、短期免許期間は前年12月から2月末まで。3カ月で35勝を挙げた。

 特にデムーロをよく乗せていたのが名伯楽の伊藤雄二調教師だ。23回の騎乗で〈11 1 1 10〉という凄い成績を残している。

 今では舞台が大きくなればなるほど勝負強さを見せる“GⅠハンター”。だが、この年はまだ重賞には手が届いていない。

 その一方、同じ年に短期免許の先輩が日本での初GⅠ勝ちを記録した。オリビエ・ペリエである。

 こちらの初来日は平成6年。21歳だった。3月に中山で行われていたヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップに招待され、シリーズ3戦目で日本初勝利。同年12月から短期免許を取得して、それから17年連続で来日することに。

 すでに96~98年(平成8~10年)の凱旋門賞をエリシオ、パントレセレブル、サガミックスで3連覇し、フランスでリーディングも獲得していたペリエ。そんな名手も日本のビッグレースはなかなか勝てなかった。

 記念すべき初GⅠはフェブラリーS。初コンビとなるウイングアローで4角最後方からの追い込み勝ち。2月いっぱいで引退する工藤調教師へのビッグプレゼントとなった。

 結局、GⅠはこの1勝(重賞は全3勝)だったが、翌年は4勝(同6勝)の固め打ち。20世紀最後の年から、外国人ジョッキーが本格的に“助っ人”の役割を果たすことになる。

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