吉田豊は94年のデビュー時から大久保洋厩舎の主戦を師が引退する15年まで務めた。96年にはメジロドーベルで阪神3歳牝馬S(現阪神JF)を制し、重賞初勝利がGⅠという偉業を達成。翌年もオークス、秋華賞、98、99年にはエリザベス女王杯を連覇するなど大活躍した。
これまで1209勝。うちGⅠ9勝を含む重賞34勝と輝かしい戦績を残している。
そんな吉田豊にアクシデントが起こったのは17年12月9日の5R2歳新馬戦。ビクトリーモーンに騎乗した際、4コーナーで逃避して落馬、頚椎を骨折して、長期の戦線離脱を余儀なくされてしまったのだ。
だが、1年4カ月の時を経て、2週前の3月2日にターフへ復帰。これまでの経緯を含め、じっくり聞いてみた。
――落馬直後はどのような状態だったのですか。
吉田豊騎手「医務室で意識が戻った時、初めて“落馬したんだ”と分かりました」
――その後は。
「一歩間違えば即死だった箇所らしいのですが、幸いすぐ手術して成功。2週間ほど入院して、リハビリの病院で3カ月ぐらい過ごしました。順調だったんですが、骨がくっつかなくて。レントゲンで撮っても(骨折箇所が)黒くて、なかなか白くなってこなかったんですよ。くっつき始めたのは夏頃でしたね」
――ようやく復帰のメドが立ったのは昨年の10月でした。
「ええ。ケイコにまたがっても問題なかったので年明けぐらいかなと思っていたんですよ。でも、骨折部を留めたボルトに違和感があって。それを抜くために再入院したので3月にずれ込みました」
――久々の騎乗は先々週の土曜、6R3歳未勝利のミヤビペルラでした。
「ようやく帰ってきたなという感じでしたね。気持ちはうれしかったです。でも、レース後は体がバキバキになって。ケイコは結構、乗ってたんで大丈夫かなと思っていたんですが、レースは全然違いました(笑い)」
――徐々に慣れていく感じですね。フラワーCではジョディーの依頼を受けました。ケイコの手応え、イメージはどうでしたか。
「初めてでしたが、体調は良さそうでしたよ。跳びが大きいので、リズムが大事な印象を受けました。逃げなければダメという感じではありませんでしたが、行ったり控えたりをできるような器用さはなさそうでした。そのへんを踏まえて乗りたいと考えてます。重賞でもやれそうな背中をしているので楽しみです」