平成競馬の裏と表

【平成11年】<2>アンカツが毎週のように参戦して55勝

公開日:2019年3月14日 17:00 更新日:2019年3月14日 17:00

 安藤勝己の名を全国区にしたのは連載でも振り返った平成7年。ライデンリーダーで桜花賞TRのGⅡ4歳牝馬特別(現在のフィリーズレビュー)を制した。

 その後もしばしば東海地区の馬が出走する時にJRAで騎乗はしていた。しかし、爆発的に勝ち鞍を増やしたのはこの年だ。

 7年は4勝、8年は1勝、9年は未勝利、10年は7勝だった。それが、11年には一気に55勝。これは全国リーディング17位に位置する凄い数字である。

 昭和51年に笠松でデビュー。3年目には116勝でリーディングに輝き、そこから18年連続でトップに。勝つことが当たり前になりすぎていたところ、JRAに参戦する機会を得て、再び闘争心に火がついたのだろう。

 地元では「カラスが鳴かない日はあっても、アンカツが勝たない日はない」と言われていたが、この年はJRAでもアンカツの名前がないのが珍しいほど。4月18日から6月26日まで、開催日にして20日間連続で参戦。夏には土曜が小倉、日曜は新潟という日も。

 そして、秋。4戦3勝のレジェンドハンターでGⅡデイリー杯3歳Sに参戦。ライデンリーダーとは違って6番人気だったが、2馬身半差をつけて逃げ切り勝ち。GⅠ朝日杯3歳Sへの出走権を手に入れた。

 3歳(現2歳)王者決定戦は前が5F57秒1のハイペースで飛ばす縦長の展開になった。1番人気に支持されたハンターは離れた3番手。残り600メートルから外めを追い上げて、250メートルあたりでは早くも先頭に。

 最後はゴール寸前で内から福永エイシンプレストンが一気に伸びて半馬身差のゴール。アンカツのGⅠ制覇は持ち越しとなった。

 2年後、阪神で落馬して骨折。入院中に真剣にJRAの騎手免許受験を考え、15年3月に移籍した。それから小牧、岩田康、内田、戸崎など9人が続く。

 アンカツの活躍が地方競馬からJRAへの道筋をつくったのは間違いない。その功績は非常に大きい。

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