平成競馬の裏と表

平成7年<2>フジヤマケンザン36年ぶり香港カップ制覇の意義

公開日:2019年2月28日 17:00 更新日:2019年2月28日 17:00

 この年に大きく変わったのは水曜発行で書いた通り「中央・地方交流元年」ということ。だが、それだけではない。海外競馬への意識も大きく変わった年ではなかったか。

 日本馬で初めて海外の大レースを制したのは昭和34年のハクチカラ。アメリカのワシントンバースデーハンデを早め先頭から逃げ切った。とはいえ、当時は遠征11戦目。ほぼ現地の調教師の管理下にあり、その後もアメリカで6戦している。日本調教馬の海外での勝利とは言いにくい。

 それからもスピードシンボリ、タケシバオーなど名馬が海を渡ったが、惨敗が続いた。

 昭和56年にジャパンCが創設。第1、2回は④着まで外国馬に占められ、ホームでも勝負にならなかった。第4回の59年、ようやくカツラギエースが日本馬初勝利となる逃げ切り。

 しかし、翌年のダービー馬シリウスシンボリ、秋の天皇賞馬ギャロップダイナも海外遠征では結果を出せず。しばらくの間、出走する馬すらいない状態だった。

 海外競馬が少し身近になったのは平成5年のこと。香港に国際競走ができたことにより、日本馬も遠征。同年、翌年とも3頭が参戦した。だが、結果はそれぞれ⑭⑭⑦着、⑧④④着……。

 そして、ハクチカラから実に36年ぶりで勝ったのがこの年だ。暮れの香港カップのフジヤマケンザンである。

 栗東の新進気鋭、森調教師の管理馬で、鞍上が蛯名。血統は父ラッキーキャストという“純日本”。この意義は非常に大きい。

 森師は当時まだ開業3年目。早くから海外に目を向けており、スキーキャプテンがケンタッキーダービーに出走したのも同年5月。また、香港にもフジヤマの他にドージマムテキ、タニノクリエイトを送り込んでいた。

 この3年後、シーキングザパールでフランスのモーリス・ド・ゲスト賞を勝利。初めて日本調教馬としてヨーロッパのGⅠを制したのが森師だったのも、そこまでの幾多の積み重ねがあったからだろう。

 先週22日にはユウチェンジを日本馬で初めてカタールのレースに出走させた(⑨着)。今でも森師は挑戦を続けている。

最新記事一覧

  • アクセスランキング
  • 週間