平成競馬の裏と表

【平成6年】一時代を築いた「日高の風雲児」が残したもの

公開日:2019年2月21日 17:00 更新日:2019年2月21日 17:00

 平成6年は2頭の兄弟馬が競馬界を牽引した。

 母はパシフィカス。そう、兄はビワハヤヒデ、弟はナリタブライアンだ。

 パシフィカスは競走馬として目立った活躍はなかった。しかし、父がノーザンダンサーということもあり、元年のイギリスのセールで、とある日本人生産者が購入。当時のレートでおよそ520万円というお手頃価格だった。

 パシフィカスは当時、無名の種牡馬シャルードの仔を受胎。日本に来てから産まれたのがビワハヤヒデである。

 購入したのは早田光一郎氏。早田牧場の代表だ。

 自身が導入した種牡馬ブライアンズタイムを種付けしたナリタブライアンも走り、早田氏は勢いが増した。兄弟が4、3歳のこの年はまさに頂点とでもいうべき時。

 兄は前年の秋に菊花賞勝ち。古馬になってからは京都記念↓天皇賞・春↓宝塚記念↓オールカマーを連勝。弟はそれぞれ3馬身半、5馬身、7馬身差の圧勝劇で3冠馬に輝き、暮れの有馬記念も制覇した。

 残念なことに兄弟対決はビワハヤヒデが天皇賞・秋⑤着後の故障↓引退で実現しなかったが、2頭でGⅠを6勝。さらにマーベラスクラウンのジャパンCなど、早田牧場新冠支場は重賞で14勝も挙げた。15勝でトップの社台ファームに1勝差にまで迫り、早田氏は「日高の風雲児」とまでいわれたほど。

 ところが、社台グループがサンデーサイレンスで勢いをさらに加速させる一方、早田牧場は失速する。

 引退して20億円のシンジケートが組まれたナリタブライアンが供用からわずか2年で急死。加えて、福島県に造った育成施設、天栄ホースパークへの投資で、資金繰りが悪化した。

 結局、14年に巨額の負債で倒産。早田氏は種牡馬シンジケートの資金横領で、のちに服役することにも。

 早田牧場が残したものの多くは社台グループに引き継がれた。ビワハイジはノーザンFに移ってブエナビスタを輩出。また、天栄ホースパークは今の「ノーザンファーム天栄」である。

 もしも、早田牧場の経営が順調だったら、日本の競馬史は大きく変わっていたかもしれない。

最新記事一覧

  • アクセスランキング
  • 週間