平成競馬の裏と表

【平成5年】 一大グループを築いた巨星・吉田善哉氏が逝く

公開日:2019年2月20日 17:00 更新日:2019年2月25日 11:49

「巨星墜つ」と報じたメディアもあった。平成5年8月13日。社台グループの創始者、吉田善哉氏が72歳で亡くなった。

 父の吉田善助氏は昭和の初めから北海道白老町社台でサラブレッドの生産を始めていた。その父が亡くなり、後を継いだのが昭和20年。それから紆余曲折はあったが、36年にアイルランドから種牡馬ガーサントを導入して、44年にはリーディングサイアーに。この頃から社台ファームは大きく発展していく。

 同じ頃に日本で初めての共同馬主クラブ「ターファイトクラブ」を設立し、生産馬を多く供給。55年に生まれた「社台ダイナースサラブレッドクラブ」は、現在の「社台レースホース」の前身にあたる。

 種牡馬では47年にアメリカで購入し、フランスで走った後に輸入したノーザンテーストが大ブレーク。天皇賞・春、有馬記念を制したアンバーシャダイ、オークス馬シャダイアイバー、ダイナカールなどを輩出。

 そして、61年には「この馬でダービーを取る」と公言していたダイナガリバーで悲願を達成した。ガリバーはこの年、菊花賞②着後、有馬記念も優勝。同じ「社台レースホース」のノーザンテースト産駒ギャロップダイナとのワン・ツーで、表彰式では善哉氏が2頭の手綱を持つという珍しいシーンが見られた。

 さらに、平成2年にはあのサンデーサイレンスを購入。常に世界に目を向けて、日本の競馬に新たな息吹を次々と吹き込んだ。しかし、サンデー産駒がデビューしたのは翌6年。活躍を見ることはかなわなかった。

 亡くなった後、社台グループは照哉、勝己、晴哉氏と3人の息子によって分割し、組織を再編。中でも勝己氏は社台ファーム早来を「ノーザンファーム」に名をあらためて、大躍進したのは周知の通りだ。

 今はノーザン1強の時代。もちろん、それは企業努力に他ならない。だが、もうひとり、吉田家以外のキーパーソンに触れる必要がある。それはあすの紙面で。 (水、木曜掲載)

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