平成競馬の裏と表

平成3年<1>マックイーンの降着で天才が初めて大スランプに

公開日:2019年2月6日 17:00 更新日:2019年2月6日 17:00

 今では「WIN5」で“億”の夢を見ることもできる。しかし、平成初頭はまだ馬券は単勝、複勝、枠連の3種類だけ。この年の秋に初めて「馬連」が発売された。

 2回函館で試験発売が行われ、本格的な導入は10月5日の東京、京都開催初日から(福島は3日目)。とはいえ、この週の71鞍(土曜東京は11Rまで)のうち、19鞍が8頭立て以下だった。当時は今では考えられないくらい、少頭数が多い。

 重賞は京都大賞典が7頭、毎日王冠は13頭。もちろん、前者は馬連の発売はなく、後者はプレクラスニー、ダイタクヘリオスの8枠2頭で決着。枠連2340円、馬連2360円と20円しか違わなかった。

 また、土曜の福島では6Rで枠連1940円、馬連1770円という逆転現象も起きている。

 さて、毎日王冠勝ちのプレクラスニー。次走の天皇賞・秋も制した。鞍上の江田照は当時、まだ19歳という若さ。

 もっとも周知の通り、プレクラスニーの6馬身前でゴールしたのがあのメジロマックイーンだ。

 前年の菊花賞馬はこの年から武豊とコンビを結成した。春は阪神大賞典↓天皇賞を連勝。宝塚記念は同じ“メジロ”のライアンに敗れたものの、秋初戦の京都大賞典を3馬身半差の横綱相撲。天皇賞では単勝オッズ1・9倍の断トツ人気に推されていた。

 ところが……。

 スタート直後に内側に斜行。15分ほどの審議の結果、最下位⑱着に降着となった。日本のGⅠにおける1位入線馬が降着した最初の事例である。

 当日、弊社にとある国会議員から直接、「最下位というのはおかしくないか」という“ご意見”もあったほど。このレースは一般紙にも取り上げられ、大きな波紋を呼んだ。

 マックイーンは次走、ジャパンCに出走して1番人気ながら④着。捲土重来を期した有馬記念でも②着止まり。

 3週間の騎乗停止が明けて復帰した武豊は11月こそ3勝したものの、12月には何と42鞍騎乗して未勝利。天才が初めて味わう大スランプで、年間100勝超えは3年で途絶え、96勝に終わった。
 (水、木曜掲載)

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