平成競馬の裏と表

平成2年<1>ナカノ、オグリコールで人気がピークに

公開日:2019年1月30日 17:00 更新日:2019年1月30日 17:00

 平成2年はまさに競馬ブームがピークを迎えた年といえよう。

 国民的アイドルホースになったオグリキャップが、この年初戦の安田記念で武豊と初コンビを組み、単勝1・4倍の支持に堂々と応えて2馬身差の楽勝。千六1分32秒4は当時としては驚異的な数字だった。

 オグリは次走に宝塚記念をチョイス。ジョッキーは売り出し中の若手、21歳の岡潤一郎(故人)に委ねられたが②着まで。

 秋には増沢末夫(元調教師)に代わって天皇賞↓ジャパンCに出走。しかし、⑥⑪着と見せ場すらつくれず、「オグリは終わった」「燃え尽きた」といわれるように。

 それが、ラストランの有馬記念で再び武豊とコンビが復活。まさかの先頭ゴールインだ。

 翌年1月には引退式が京都競馬場からスタート。デビューした笠松競馬場、そして東京競馬場と3回も行われている。

 順番は前後するが、この年の競馬シーンの盛り上がりはダービーでも。

 あの“ナカノコール”だ。東京競馬場の入場者数は19万6517人で、いまだに破られていない世界レコード。おそらく半永久的に更新されることはないだろう。

あのクラブはこの年に躍進

 さて、馬主ランキングを見てみると、今につながる大きな変化があった。社台レースホース=121勝、松岡正雄氏=43勝に次ぐ、41勝を挙げた「日本ダイナースクラブ」が3位にランクイン。

 といっても若いファンにはピンとこないかもしれない。平成元年に誕生したクラブ法人で、今の「サンデーレーシング」の前身である。平成12年(00年)にダイナースクラブがシティグループに買収されたことにより、名称を変更している。

 2歳馬のみの元年は1勝しかできなかった。しかし、翌年には大きくジャンプアップ。1期生の中にクラブとして初のGⅠ勝ちとなるレッツゴーターキンがいたものの、平成2年の段階ではまだ条件馬。大舞台を制したのはこの2年後である。
 (水、木曜掲載)

最新記事一覧

  • アクセスランキング
  • 週間